様々な挑戦の末に完成した新ルート。ここまでの努力と新人運転士が抱くこの先の思いに迫りました。

ゆっくりと迫ってくる路面電車…。

「ちょっとそっち側から当たるか当たらないか判断せえよ」

この日は初めて2階に乗り入れる試運転…。
緊張が走る現場で指揮をとったのは広島電鉄工務課の原田義宏さん。
線路を知り尽くした”軌道のベテラン”です。

【広島電鉄 工務課・原田義宏さん】
「施工側にとっては6月6日の試運転が本当のもう一つの私たちの開業日なんですよ。いままでやってきたものの成果が問われる瞬間なんで…」

Q:ここまでの道のりを振り返って印象的だったことや難しかったこと
「営業線をしながら線路の線形を新線形に移設していく工事があった。70mくらい交差点があるが朝の始発には一晩でやると間に合わない。最終的には交差点の真ん中を普通2本のレールしかないが、そこを仮に4本のレールを敷いておいて、両サイドのレールを新しい線形につなげるような、なんとか新線形が出来上がった」

そして、あちこちに散りばめられた”広電初”…。

【広島電鉄 工務課・原田義宏さん】
「最初に計画グループからこういう構造でいくよと聞かされたときに、なんで発泡スチロールの上を電車が通るのって、大丈夫なのって思った。(枕木の上にレールとは違い)この樹脂固定軌道はコンクリートの箱の中にレールを置いて樹脂の液体を流してレールの位置を決める。温度変化でレールが伸び縮みするおかげで、繊細に調整を絶えず繰り返しながら樹脂を入れていく作業には、すごく今回振り回されましたし、すごく自分でも勉強になった」

そんな原田さんが試運転で一つの”キモ”と位置付けたのがこの場所です…。

「あの先端のところが内側にかいである、あれが電車が通ってくるときの変位量というか、電車がこちらに膨らむ。通常の直線よりは15センチとか20センチ中に入れて電車が当たらないように。これいろいろ計算するんですけど、本当にその通りに走るか。

私がこの計画をきいたときに本当に広島駅の2階部分に電車が入る、私の思いの中で絶対にありえない現実が計画され、いまそれが現実になっています。

終点についたときに歓声があがったときには感動したというか、やりがいがありましたよね」

幾多の困難を乗り越えかつてない連携を通じて実現した、全国初となるJR駅ビルへの乗り入れ。

【広電・元常務の中尾正俊さん】
「まさか本当にこれが実現するとは夢のような話で感激している」

こう喜びを口にしたのは広電・元常務の中尾正俊さん。
現在は栃木県の宇都宮ライトレールで名誉技術顧問を務めていますが、かつて、新ルートの構想に関わった一人です。

【広島電鉄 元常務・中尾正俊さん】
「そもそもは、電車の渋滞で進まなくなるという(課題があり)、これを何とかしないといけないと検討したが、2010年くらいだったか、市役所から駅前大橋、電車はどのくらいの勾配なら乗り入れができるかという話があり、すぐさま江波の車庫で5%の勾配のレールを実証実験をやった。満載荷重、定員の1.5倍の重量を水とか鉄とかレールとか積み込んで、坂の途中でいったん止めて、そこから再起動したときに電車が起動できるかというテスト。OKが出たもんですからとり急いで市役所に、ぜひこれでお願いしたいと返事をすぐさせてもらった。

とにかく広島の街を楽しい街づくりにしようと、そういう原点をもって今後の街づくり都市交通をいろいろやっていただきたいと思っている」

開業初日の2日、5号線の運転士を務めたのは小椋伸哉さん、24歳。
広島市出身で、今年2月、幼い頃から抱いていた運転士になる夢を叶えました。

運転士1年目に駅前大橋ルートが開業することについては…。

【広島電鉄営業課・小椋伸哉運転士】
「とにかく語彙力をなくしてしまうほどの感動というか、途中までは道路と一緒だが途中からは独立して線路だけになるわけで、ジェットコースターといったらあれですけど、そういう感覚にもなった。

車両性能やお客様の量を考えながら運転しないと勾配ですから危ないので、そこはしっかり頭に入れて安全第一で運転しようと思う。

自分としても駅としても、いまからですから、風の日も雨の日も、お客様に寄り添った公共交通として、お客様の生活の一部になれればいいなと思う」

新たな歴史に刻まれた新ルートの開業…。
ここからどのようなドラマが生まれるのでしょうか。

テレビ新広島
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