岩手県の北部に位置する二戸市。近くには一戸町や青森県八戸市など、“戸(のへ)”とつく地名がある。また二戸市内にある「福岡」と「石切所」の地名は、どのような由来があるのかを探る。

長年にわたり県内各地の地名について調査している宍戸敦さんは次のように説明する。

宍戸敦さん
「県北はかつて糠部(ぬかのべ)と呼ばれ馬産地だった。馬を数カ所に分けて管理していた。一つのエリアを“一戸”、そして別の隣のエリアを“二戸”ということで、一戸から九戸まで柵を設けて馬を管理している。その一つの牧場を“戸”として行っていた。2番目の牧場を“二戸”と名付けた」

ーー二戸市福岡にある九戸城跡。ここは“福岡”という場所だが、どうしてこの名前になったのか

宍戸敦さん
「福岡は最初、九戸政実が九戸城を居城としていた。その頃は“宮野”という地名だった。そのあと九戸政実の乱が始まり、九戸政実と南部信直の戦いになる。最終的には南部信直が勝って、そこに新たに“福岡城”という城を建てた。その周辺の地名ももちろん“福岡”となるが、宮野から福岡という地名に変えているが、これは新たなスタートを切るという意味で縁起のいい地名ということで福岡にした」

歴史的な戦いの舞台となったこの場所は、地元の人々の強い思い入れもあり、現在は「九戸城跡」と呼ばれている。

そもそも二戸市にあるのに九戸城とは?
その謎を解き明かすため九戸城ガイドハウスの桂山喜代美さんに話を聞いた。

九戸城ガイドハウス 桂山喜代美さん
「もともと九戸氏は九戸郡を治めていた領主。その七代の当主の九戸光政の時代に、二戸の方に進出してきて九戸城を築いた。ここに城を築いた理由は主に二つあると思っている。九戸城は馬淵川・白鳥川・猫渕川と、三方が川に囲まれた天然の要害の地(守りに適した場所)。もう一つは奥州街道が通っていて、ここを起点にすると便利。その二点で本拠を移してきたと言われている」

敵軍が攻めにくいことと、交通の要所にこの場所が九戸城がふさわしかったという。

また、福岡の隣には「石切所」という名前の地域がある。

宍戸敦さん
「この石切所という地名は読んで字のごとく“石を切る所”という意味。石を切ると言っても石を割るような形にして、例えば墓石のような形にして作ったというその石工さんが住んでいたところが“石切所”でもある。ただ、そこはかつて“福岡城”が近くにある関係上、その城の石垣に使う石を切り出していたと考えられる」

石切所には岩の名勝が多く、昔から石と共に暮らしてきた地域であったことが伺える。
そんな石切所という地名に縁がある場所を訪ねた。

北のチョコレート工場&店舗2door 飯豊彩乃さん
「こちらの石は“石切所石”と呼ばれている。国歌の“君が代”で歌われている“さざれ石”でもある。大小異なる石が集まり、巌(いわお・大きな岩)となった」

ーーどんな願いが込められている?

北のチョコレート工場&店舗2door 飯豊彩乃さん
「この“さざれ石”は、もともとここにあったものではなくて、石切所の“奥山地区”にある石を前社長がここに置きたいと言い、二戸の皆さんに愛され長く続くようにとここに設置した。末永く石切所に根付いていきたいとう意味が込められている」

戦の歴史が刻まれた「福岡」、今でも石との縁を感じる「石切所」。
二戸市にはそんな歴史や風土を映す地名が多く残っている。

岩手めんこいテレビ
岩手めんこいテレビ

岩手の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。