愛知県愛西市の、江戸時代から続く老舗酒造「水谷酒造」は、2024年に発生した火災で、建物や貯蔵中の酒、そして200年にわたる酒造りの記録までも失い、一時は廃業も覚悟したといいます。それでも再び歩み出したのは、若き杜氏の「またこの味を造りたい」という一言がきっかけでした。
現在は他の蔵の力を借りて“共同醸造”という新たな挑戦に踏み出し、最新の分析ツールも活用。蔵の再建に向け、仲間とともに一歩ずつ前進しています。

■貴重な酒造りの記録が一夜で灰に…創業200年の老舗酒造が火災で全焼
6月15日、愛知県愛西市で日本酒の飲み比べイベントが開催されました。2024年12月に「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に登録され、注目が高まる中、市内の4つの酒造会社が集まり、会場は大いににぎわいました。

その一つが、江戸時代末期から酒造りを続ける老舗「水谷酒造」。看板銘柄「千瓢(せんぴょう)」を誇る酒蔵です。
男性客:
「すごく美味しい。これ(千瓢)、アルコール度数が高くて美味しい」

千瓢をおいしいと楽しんでくれる人たちがいる中で――
女性客:
「千瓢って、水谷酒造さんに行かないと買えないのですか?」
水谷酒造の杜氏・後藤実和さん:
「そうですね、ただ今、うちは火災で…」
2024年5月、酒造りの最中に酒蔵から出火。ケガ人はいませんでしたが、木造平屋建ての蔵は全焼。貯蔵していたお酒も、すべて失いました。

水谷酒造の5代目・水谷政夫社長は、その時、蔵の中にいたといいます。
水谷社長:
「火が出て、こりゃいかんと。私も鉄煙をそれなりに吸ってしまって、救急車に乗って救急隊の人に『病院へ行った方がいい』と言われたけど、『いや、ここは離れたくない』って。だから直後は、もう“無”というか。自分から酒造りを取ったら、一体何が残るのだろうって」

米、こうじ、水――微妙な配合が味を左右する日本酒にとって、“命”とも言えるその記録を失った水谷酒造。“廃業”の二文字が頭をよぎったといいます。
■「お酒をまた造りたい」…若き杜氏が願う“未来へつなぐ酒造り”
そんな時―
水谷社長:
「後藤さんが『水谷さんがいれば、またお酒造れますよね』って声をかけてくれて…」
水谷酒造の杜氏見習い・後藤実和さん(27)は、大学で微生物学を学ぶ中で日本酒に興味を持ち、日本酒研究会に所属。全国の蔵を巡る中で出会ったのが「千瓢」でした。

後藤さん:
「一晩で4合瓶の3分の2は飲んじゃって。すごくスイッといけちゃう飲み飽きしないお酒だったので。すごく柔らかくて」
新卒で水谷酒造に飛び込み、5年にわたり修行。その最中に、火災が起きました。
後藤さん:
「目の前で火が上がって、慌てて消火活動に動いたけど。(鎮火後)すごいガレキの山だったので現場の整理とか…。それでも、また水谷さんがつないでこられたお酒を造りたい」

すべてを失っても、惚れ込んだ「味」だけは、絶やしたくない――。そう願ったのは後藤さんだけではありませんでした。
■焼けた老舗に “ライバル”が手を差し伸べる… 共同醸造で「千瓢」を再び世に
その想いにこたえたのは、愛知県北設楽郡設楽町の酒蔵「関谷醸造」でした。6月26日、後藤さんは、日本酒「蓬莱泉」などで知られるこの酒蔵にいました。
関谷醸造・関谷健社長:
「“共同醸造”で、うちで水谷さんのお酒を造らせていただくことになって」

火災後、関谷醸造をはじめ、県内の複数の酒蔵から、水谷酒造へ支援の申し出があったのです。そこで、2024年の夏以降、水谷酒造は “ライバル”であるはずの4つの酒蔵の協力で、共同醸造を開始。

今回完成した「千実 山藍摺(ちさね やまあいずり)」(720ml参考価格2035円)も、共同醸造のたまものです。

後藤さん:
「感謝しか出てこない。人のありがたさを感じた一年です。関谷さんは山あいで、自然に囲まれた中でお水もすごく綺麗な所なので、それがお酒の綺麗な軟らかさに出ている」
■老舗酒造復活に向けて…最先端のDXツールで味を再現
さらに、共同醸造を通じて新たな“武器”も手に入れました。後藤さんと関谷醸造の杜氏が見ているのはパソコン。
後藤さん:
「これは『もろみエール』という分析の数値を入力するだけでグラフ化してくれる(ツール)」

名古屋国税局が開発した「もろみエール」は、日本酒のもととなる「もろみ」のアルコール度数や水分量を入力すると、発酵の進み具合が自動計算でグラフ化されるツールです。

後藤さん:
「今までは環境ありきで、“蔵が造ってくれる”ようなイメージ。ゼロからのスタートで自分の造りたいものを表現しようと思うと、まずはこういった数値をしっかり見て」
火災で、紙のデータのほとんどを失った水谷酒造にとって、「もろみエール」は味の再現を支える貴重なツールです。様々な蔵で酒を造る共同醸造を経験することに加え、最先端のDXツールを活用することで、データの蓄積を確実にし、前へ進んでいます。
■再建を望むたくさんのファンのために…ゼロからの酒造りが着実に動き始める
一方、焼け跡に残されたタンクの前では――
後藤さん:
「タンクを『開放』にするのか。皆さん『密閉』が良いってすごく言われて」
水谷社長:
「だよね。『密閉』の方が取り扱いしやすいし、タンクの上に乗れるから」

すべてを失ったあの日から、1年と1カ月あまり。ゼロからの酒造りを進める後藤さんのもとには、様々な酒蔵からヒントが寄せられています。2人が目指すのは、概算で3億円ほどかかるという自前での蔵の再建。高いハードルですが、共同醸造でできたお酒を売りながら、一歩ずつ前へ進みます。
水谷酒造には、“その日”を待つたくさんのファンがいます。
女性客:
「お酒を飲んで応援するしかできませんけど。ぜひ5年後には(蔵が)出来上がっているのを楽しみに」
男性客:
「火事になる前に買ったお酒は今も大切に。いつか、水谷さんが復活されたとき何かのイベントで『これ皆さんで飲みませんか?』なんてできたら」

後藤さんもその声に背中を押されます。
後藤さん:
「(ファンの)一言一言がすごく支えになっている。時間はかかってしまうけど、しっかりと良いものを造っていきたい思いは強くありますので、お待ちいただけたら」
“ゼロからの酒造り”は、ゆっくりと動き始めています。
2025年6月30日放送