2000年の九州・沖縄サミットから今年で25年を迎えるにあたり、開催に至る経緯や歴史的な意義を振り返るシンポジウムが開かれました。

シンポジウムは、2000年の九州・沖縄サミットで首脳会談が開かれた名護市の万国津梁館で開かれました。

基調講演した当時、県知事だった稲嶺惠一さんは「サミットは県民が一丸となった結果成功した」と強調しました。

稲嶺惠一 元知事:
沖縄県民全体の心からサミットを成功させるという心があったから成功したのです。これは今後の沖縄の将来を、沖縄がどう発展すべきか、どう成長するか、大きな指針になります

1997年に外務省から出向し、県のサミット推進県民会議事務局長を務めた山田文比古さんは、「当時、沖縄は候補地のうち最も低い8番目だったが、小渕総理が開催を決断した」と振りかえりました。

元県サミット推進県民会議事務局長 山田文比古さん:
小渕総理(当時)が沖縄への思いを非常に持っていたということと、県民が盛り上がって、期待という言葉で書いていますけど、熱意ですよね、県民がやるぞと言ったことに(小渕元総理が)応えられた

その上で、「沖縄にはソフトパワーがあり、今後の発展にサミットでの経験を活かしてほしい」としています。

沖縄テレビ
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