歴代の天皇・皇后として初めてモンゴルを訪問されている天皇・皇后両陛下。
8日は第2次世界大戦の後、モンゴルに抑留されて亡くなった日本人の慰霊碑を拝礼される予定です。

FNNでは日本人抑留者が当時、強制的に働かされていた貴重な映像を入手し過酷な生活を生き抜いた男性と、その歴史を伝える活動を続けるモンゴル人を取材しました。

モンゴル到着から一夜が明けた7日。

天皇陛下はウランバートル市内にある、チンギスハン国立博物館を訪問されました。

集まった人たちに立ち止まって手を振られた陛下。

博物館は、モンゴルの国民的な英雄チンギスハンの歴史的な偉業を紹介したもので、陛下はモンゴル帝国時代の宮殿の模型や鎧などをご覧になりました。

陛下がモンゴルを訪問されたのは皇太子時代の2007年に続いて2回目です。

モンゴルには終戦後、旧ソ連の捕虜となった多くの日本人が強制的に働かされた過去があります。

富山県で暮らしている山田秀三さん現在、107歳。
旧満州で捕虜となりモンゴルに連行されました。

元抑留者・山田秀三さん(107):
食料はない。一切合切ない中で、寒さにやられて、栄養失調で死んでいった。そういうところだと知ってもらいたい、天皇陛下に。

当時27歳だった山田さん。
冬には、マイナス30度にもなる過酷な環境で政府庁舎の建設現場などで働かされたといいます。

元抑留者・山田秀三さん(107):
(スフバートル)広場で日本人は建築。何も建っていなかった。2メートルの棒を持って(掘った)。地下1メートル凍っているから全然掘れない。

FNNが今回入手した終戦翌年の1946年ごろのウランバートルの映像では、木材を切り出し、建築資材を運ぶ抑留者の姿が残されています。

終戦後、旧ソ連の捕虜となった約60万人のうち1万4000人ほどがモンゴルに連行され約1700人が亡くなりました。

現在は市民がボートで遊ぶ公園も、当時、抑留された日本兵士の一部はこちらの岩場で石を切り出す作業に当たっていました。

この公園内に抑留者の記録を伝える資料館“さくら”を開設したモンゴル人のウルジートグトフさんは、ごみ捨て場だったこの土地が、かつて抑留者が手作業で石を切り出した場所だと知り、私財を投じて公園として整備したといいます。

ウルジートグトフさん:
日本の抑留者が約1700人亡くなった事実を知り、見過ごすことはできませんでした。

ウルジートグトフさんは2024年、富山県で暮らしている山田さんのもとを訪ね、抑留生活について話を聞いたといいます。

ウルジートグトフさん:
山田さんはスフバートル広場の凍った地面を鉄の棒で砕くのに苦労したと話していました。

山田さんたちが基礎を掘ったスフバートル広場では、今でも式典などの会場として使われていて、8日、両陛下の歓迎式典が行われます。

また、抑留者が建設に関わった政府庁舎などはモンゴルの人々の生活インフラを支える要として、80年近く経った現在も使われています。

元抑留者の山田さん。
家族に繰り返し伝えているのは武器を作ってはいけないという願いです。

元抑留者・山田秀三さん(107):
戦車は何のためにつくる。物を壊す人を殺す。飛行機で上から爆弾を落とす。一体何をやっているんだ。そういことはいかんこと。お互いに平和を考えていかないといけない。

一方、モンゴルに資料館を建設したウルジートグトフさんは「モンゴル抑留者が重要な建設作業をしていたことを、日本とモンゴルの国民に分かるよう届けたいと思います。さくら資料館のことが陛下の耳に届くだけで十分です」と話しました。

日本を出発する前の会見で陛下は、抑留者について「心ならずも故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々を慰霊し、その御苦労に思いを致したいと思います」と話されていました。

戦後80年。
両陛下は8日午後、モンゴルで抑留され命を落とした日本人の慰霊碑を拝礼されます。