佐賀豪雨など、何度も浸水被害を受けた武雄市北方町の料理店。雨の季節には今でも雨音を不安に感じながらも地元で店を続けています。一方、武雄市は5月、床上浸水被害の解消を目指すまちづくり構想を発表し、水害が相次ぐ地域で暮らしていくため新たな対策も進められています。
【松山昇さん】
「ポイントはやっぱり、肉、魚、野菜のバランスですよね。何でもふんだんにとれるよう」
武雄市北方町で料理店を営む松山昇さん60歳。父から店を受け継ぎ、創業約50年を迎えました。
家族で店を切り盛りしながら、町内外の病院や地域住民など、注文に応じて弁当を配達しています。
【松山昇さん】
Qきょうはどちらへ配達に?「大町の自動車学校までですね」
【利用者】
「メニューがいつも違うので、それも楽しみですね。おいしいです」
店の歴史は水害の歴史でもありました。店は令和元年佐賀豪雨で被災。法事で使う座敷も浸水しました。
【松山昇さん】
「(浸水被害受けて)もうやっぱり心が折れたですね。これはダメだと思ったんですけど、まあとにかく店の入り口を開けて、中に入れない状態だったので。近所の方に助けを求めてそれで来てもらって、冷蔵庫を一つ二つ起こしながら、やっとここの中に入ってこれたところですね」
客の要望に応えようと松山さんは発災10日後に営業を一部再開しました。
【松山昇さん】
「出前の注文うけたときにですね、わざわざ手紙書いてもらったりですとかね、弁当待ってましたとか、ありがとうございますという言葉いただいてですね。本当にありがたかったです」
多くの人の支えで、復活した料亭松山。しかし…。
無事に再開できたのも束の間。2021年の8月豪雨で、またしても店は浸水しました。
【松山昇さん】
「この線が一番最初ですね。平成2年の7月、そのあと令和元年にここまで来たんですけど、平成2年よりは低かった。だからまあ、この辺りでだいたい対策をしようかなと。でもそれ以上に令和3年が来て、避難させてた備品がけっこう濡れてたりとか、倒れたりとかしてから。ショックだったですね」
佐賀豪雨を教訓に座敷の畳をはやく上げるなど対策もしていたといいます。
【松山昇さん】
「車はもう令和元年に全滅してしまったんで、ものすごい不便だったんですね。全然動けなかったから。だから車だけ近くのお寺の方に避難させてもらって、車は全部無事でしたけど」
浸水被害から約1カ月半後、店は営業を一部再開しましたが、完全に復帰するまでには、約8カ月かかりました。
【松山昇さん】
「(SNSで)被害状況を上げたりしてたんですけど、それを見てから連絡してきてくれたり、ひどい状況だよと聞いたところで連絡してきてもらって、手伝ってきてもらったり、いろんな方に助けてもらいました」
2021年の豪雨から約4年。今でも、松山さんは雨の音が不安だと言います。
【松山昇さん】
「やっぱり大雨の音を聞けば、トラウマになって、ちょっとビクビクししますね。川の水位を見たりそんなチェックも毎回やっています」
【大川内記者】
「店のすぐそばには、こうした水路があります。令和元年、令和3年の水害では、この水路の水が溢れ、約120センチの高さまでこの地区は浸水被害を受けました」
六角川に排水できなかった水が、水路や川から溢れるいわゆる“内水氾濫”の被害を受けた武雄市。4年前の豪雨では市内の住宅約1180戸が床上浸水しました。
このうち被害が集中したのが松山さんの店がある北方町を含む3つの町。床上浸水は1135戸と全体の9割以上を占めています。
こうしたなか、武雄市は5月、被害の大きかった3つの町に特化した新たな都市構想を発表しました。
【小松政武雄市長】
「水害対策の着実な実施が前提ではありますけれども、引き続きまちづくりをどう進めるかは住民の皆さんと意見交換を重ねて、住民の皆さんの意向を大事にしていきたい」
構想は4回にわたる住民説明会などを経てまとめられたといいます。
【武雄市まちづくり部治水対策課 吉野修一課長】
「浸水被害が深刻な地域をですね、重点整備地区というふうに定めて、対策とまちづくりをですね一体となった議論をしようというふうなことになりました」
このうち、北方町ではたまった水を川へ流す排水機場周辺に雨水を誘導させるため、住宅地近くの農地の水路を整備するなどの対策が盛り込まれています。
【武雄市まちづくり部治水対策課 吉野修一課長】
「川添川排水機場という所がありますが、ここの排水能力をしっかり強化するためにですね、調整池、水を貯める場所をつくりながらですね、しっかり地区のですね浸水リスクをですね解消させたいと思ってます」
市は約20年をかけて計画を進め、市内の床上浸水被害の「解消」を目指しています。この4年。周りでは土地のかさ上げや移転をした人も多かったという松山さん。度重なる被害を受けてもこの場所で店を続けたいと話します。
【松山昇さん】
「移転ということも考えなかったことはないですけどね。でも、やっぱりここで、やった方がいいのかなと。ここに愛着もあるしですね。(豪雨が)来たら来たでなんとか持ちこたえられればそこでまた再開したいと思っています」