イランを巡る情勢が緊迫化する中、日本人の退避の動きも進んでいます。
そんな中、イランから日本にたどり着いた女性が当時の状況を語りました。
この週末、アメリカから核施設への攻撃を受けたことで、さらに緊迫の度を増したイランを巡る情勢。
そのイランから退避してきた日本人女性に話を聞くことができました。
日本の地を踏み、「もうよかった、やっと着いたです」と安堵の表情を浮かべるのは、穴田慶子さん。
イランに40年以上も住み、現地の日本大使館やテヘラン大学などへの勤務経験があるといいます。
「イット!」は21日、関西国際空港に到着後の穴田さんが身を寄せる予定の次女の家に向かうまでの道中、情報が少ないイランの今について聞きました。
イランから退避した穴田慶子さん:
(Q.イスラエルの攻撃が始まったというのは?)ものすごい音で家の窓が揺れるぐらい揺れて飛び起きたんですけれども、翌日窓から外見ると、何十階建ての高層ビルがあるんですが、そこの頂上部分が爆弾で壊れていた。
14日未明、首都テヘランに対し、突然始まったというイスラエルからの攻撃。
その後は連日、上空での激しい攻防が繰り広げられたといいます。
イランから退避した穴田さん:
これね、我が家の屋上に上がって映したんですね。夜空を見上げると、ちょっとだけ星が出てるんですね。その星の中に“動いてる星”があるんです。
その“動く星”は、イスラエルの兵器に対するイランの迎撃ミサイルだといいます。
イランから退避した穴田さん:
(Q.上に光っているのは?)下から発射したのが破裂している。防空システムの発射場みたいなのが結構近くにあって、それが当たったら(イスラエルの)ドローンが落ちるみたいな。
こうした事態が続き、多くの市民が首都テヘランから郊外に逃れ、街はすぐにゴーストタウン化したといいます。
イランから退避した穴田さん:
普段は車がいっぱい走ってるのにガラガラでした、誰もいない。やはりお店がほぼ閉まってしまいまして。
そうした中で19日、退避を希望する人に向け、日本大使館が隣国アゼルバイジャンに向かうバスを用意。
日本にいる2人の娘から退避を強く求められていた穴田さんも、このバスで出国することを決断しました。
しかし、ここで持ち上がったのがビザの問題だったといいます。
イランから退避した穴田さん:
9時間以内にビザを取って申し込むという形でした。私の場合、何度試みてもビザが取れなくて。ビザがない状態で国境まで行ったんですけれども。
もし、アゼルバイジャンに入るためのビザが下りなければ出国することはできません。
ようやくビザを取得できたのは、イチかバチかで向かった国境に到達した、まさにその時。
間一髪のタイミングでした。
その後、アゼルバイジャンからトルコを経由し、出発から3日間をかけて戻ってきた日本の地。
待っていたのは、母の身を案じ続けた娘でした。
安堵の表情で出迎えた穴田さんの次女は、「すごく、すごく不安で。この1週間不安で、コンタクトもできなかったので…」と話します。
ネットばかりか、日本からは電話すら通じないという現在のイラン。
穴田さんは、今もイラン国内にとどまる息子や、多くの日本人永住者の今後を案じています。
イランから退避した穴田さん:
ご主人がイラン人であるとか奥さまがイラン人であるとかいう方々は、ほぼおそらく9割は残っていらっしゃる。自由に「危ないですね、じゃあ避難しよう」というわけにはいかない。(この状況が)もう早く終わってほしいです。