6月23日は旧日本軍による組織的な戦闘が終わったとされる、沖縄・慰霊の日です。
戦後に生まれた世代が9割近くとなる中で、沖縄出身のバンド「MONGOL800」の万バーが中心となり、当時の記憶を「音楽」で伝える取り組みが始まりました。
■4人に1人が犠牲 忘れてはならない沖縄戦の惨禍 受け継がれる「慰霊の日」
沖縄県糸満市で行われた追悼式。
沖縄・慰霊の日に平和への祈りがささげられました。
【城間一歩輝(いぶき)さん(小学校6年)】「80年前の戦争で、おばあちゃんは心と体に大きな傷を負った。おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく」
1945年、沖縄では激しい地上戦により20万人あまりが死亡し、県民の4人に1人が犠牲になりました。
戦後80年。沖縄県内外の人にあえてこの質問をしました。
「6月23日、この日を知っていますか?」
【東京から観光】「6月23日、分からない」
【千葉県から移住2年目】「6月23日。ごめんなさい、分かんないです」(Q.沖縄慰霊の日)「聞いたことあります」
沖縄県民は…。
【沖縄県民(10代)】「慰霊の日ですね」
【沖縄県民(70代)】「黙とうしますものね、お昼になると必ず。子供のころから学校でも必ず黙とうしてましたから」
【沖縄県民(30代)】「沖縄県にとっては、結構みんな大事にしている日ですね」
■「別れの曲」が蘇る 沖縄慰霊の日に新たな継承の形
2025年6月23日、沖縄「慰霊の日」。新たな形で記憶を継承する取り組みが始まりました。
沖縄県のバンドMONGOL800キヨサクさんが中心となった、「詩い(うたい)継ぐ沖縄慰霊の日プロジェクト」。
歌うのは「別れの曲(うた)」です。沖縄戦に動員された、ひめゆりの生徒たちの卒業の門出を祝おうとつくられた曲でしたが、戦渦で歌うことは叶いませんでした。
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別れの曲(うた) 作詞:太田博 作曲:東風平恵位
目に親し 相思樹並木 住きかえり 去りがたけれど
夢の如 とき年月の 行きにけん 後ぞくやしき
澄みまさる 明るきまみよ
すこやかに 幸多かれと 幸多かれと
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【詩い継ぐ沖縄慰霊の日プロジェクト代表 キヨサクさん(「MONGOL800」)】「歌いたかったこの歌が歌えなかった。悲しい側面もあるんですけど、純粋にその詩(うた)が持つ、学生を想った、学生の未来、明るい将来、未来を本当に純粋に想った、すばらしい曲だとして僕たちはとらえているので、たくさんの人に知ってもらうのはもちろん、歌ってもらって、“詩い継ぐ”ことにつながればいいなあとは思っています」
若い世代に届くよう、さまざまなSNSで公開し、楽譜や音源を無償提供して、一緒に詩い継ぐ小中高生も募集します。
詩を聞いたひめゆり平和祈念資料館の普天間館長は…。
【ひめゆり平和祈念資料館 普天間朝佳館長】「戦後もひめゆりの同窓生たちは、慰霊祭や同期会で歌うんですけど、みんな『別れの曲』を歌うとき涙ぐむんですよね。この歌に悲しい曲というイメージがずっと抱えてたんですけども、よくこの歌詞を聞くと、実は悲しい詩じゃなくて、これから卒業していって、門出の詩、新しいまた未来に旅立つ詩なんだなって。キヨサクさんが新たにこの詩に命を与えてくれた」
■モノクロからカラーへ AIと手作業で蘇る80年前の沖縄
音楽でつなぐ「沖縄慰霊の日」。一方で「記憶の継承」は関西からも。
【大阪市在住 ホリーニョさん】「きょうは大阪から飛行機にのってやってきました」
この日、那覇市内の中学校では大阪市に住む会社員・ホリーニョさんによる平和学習が行われました。
戦前・戦中・戦後の沖縄を撮影した白黒写真を、AIと手動補正でカラー化する活動を続けていて、県内の歴史研究者らの監修のもと、本も出版しています。
【女子生徒】「なぜ色んな戦争がある中で、沖縄戦に着目して、カラー写真にしようと思ったんですか?」
【沖縄カラー写真で授業を行った ホリーニョさん】「沖縄のこと大好きだけど、リゾートとか料理とか大好きだけど、ちょっとずつ来る度に、基地のこととか、戦跡のこととか、目に入ってくる中で、1回ちゃんと勉強してみようかなと思った」
自身がそうだったように、カラー化写真が、沖縄戦を「知る」きっかけになればと話します。
写真は沖縄県内の小中学校で展示され、平和学習に活用されています。
【那覇市立寄宮中3年】「遠いと思っていたのが、話を聞いて、目で見て、色で感じて、身近により近くに感じられました」
【那覇市立寄宮中3年】「自分は沖縄に住んでいても、沖縄戦を自らもっと知ろうとかはあまりなくて、でも大阪に住んでいるホリーニョさんは、沖縄戦についてもっと知りたいと言っていたので、自分も沖縄に住んでいるから、自分の地域の歴史を、もっと自ら進んで学んでいきたいなって思いました」
【沖縄カラー写真で授業を行った ホリーニョさん】「自分が想像してなかった世代の方に、届けられる大きなきっかけになったと思う。AIとかインターネットとか、若い人たちの勉強方法は、すごく変わってくるだろうと感じたので、深まるようにきっかけ作りとして、本が広がっていけばいいなと思います」
戦後80年、伝え方が変わっても「平和への祈り」は変わらずにつないでいきます。
(関西テレビ「newsランナー」2025年6月23日放送)