鹿児島市で2300人以上が犠牲になった鹿児島大空襲から17日で80年です。
鹿児島市の高校では当時、空襲を経験した卒業生の思いで、2019年に始まった、空襲で犠牲となった生徒を弔う慰霊式が行われました。
16日朝、鹿児島市玉里町の鹿児島女子高校で約700人の生徒が参加して慰霊式が行われました。
今から80年前の1945年6月17日、太平洋戦争中の鹿児島大空襲では、鹿児島市で2300人以上が犠牲になり、約6万6000人が被災しました。
轟木康陽記者
「鹿児島市中央町の共研公園です。以前はこちらに鹿児島女子高校がありましたが消失して、今はこの様に慰霊碑が建てられています」
鹿児島女子高校の前身、鹿児島市立女子興業高校では校舎や宿舎が全焼し、防火要員として宿舎に残っていた生徒13人が亡くなっています。
式では生徒と卒業生らが献花台に花を手向けて、亡くなった生徒を追悼しました。
学校での慰霊式は当時、空襲を経験した別府典子さんら卒業生の思いで2019年に始まりました。
別府さんは2024年6月に亡くなっていて、戦後80年を迎える2025年、戦争の記憶の継承が課題となっています。
生徒
「生きたくても生きられなかった人たちがたくさんいて、将来やりたいことができなかった人たちもいるので、自分が今できることをしっかりして将来につなげられるようにしていきたい」
「今、自分たちがやりたいことを思い切りできるのは、先輩方が命を賭けて守ってくださったからだと思うので、今できることを全力で頑張りたい。これから自分の家族や親しい友人に伝えて、この出来事を周りの人にも知ってもらいたい」