新潟地震から6月16日で61年です。新潟市東区の桃山小学校では、当時の教師が児童を避難させ、守り抜いた61年前の記憶を児童に語りました。
1964年6月16日に発生した新潟地震。
地震の規模を示すマグニチュードは7.5を観測し、26人が死亡。新潟市では過去最大級の石油コンビナート火災が発生。液状化現象も県内を襲いました。
当時、特に被害が大きかった地域にある新潟市東区の桃山小学校では16日、避難訓練が行われました。
【校内放送】
「避難訓練、避難訓練、ただいま大きな地震が発生しました」
【松村道子キャスター】
「子どもたちは帽子をかぶり、速やかに机の下で身をかがめています」
さらに、この3分後。
【校内放送】
「ただいま津波警報が発令されました」
全校児童は担任の先生の指示に従い、3階・4階へ避難します。
津波警報の発表を受けた全校児童約460人はとても落ち着いた様子で、3分ほどで上の階への避難を完了させました。
【児童】
「クラスみんなで真剣に取り組めていて、いいと思った」
【松村道子キャスター】
「桃山小学校の敷地に入ってすぐのところに“桃山の碑”があります。1400人近い児童を避難させた当時の先生方の功績を今に伝えています」
この碑に当時の教師の一人として名前が刻まれているのが鍋谷總子さんです。
【桃山小元教師 鍋谷總子さん】
「今思えば、1300人の子どもたちが一人もケガなく、具合が悪くなるでもなく、みんな無事でいたのは奇跡ではないかと思う」
新潟地震の当時、27歳で桃山小学校の最年少の教師だった鍋谷さん。児童を避難させる中で教頭から受けた指示は…。
【桃山小元教師 鍋谷總子さん】
「お父さん・お母さんが迎えに来た人だけ、子どもを渡してくださいと言われた」
最後の一人を保護者に引き渡すまでには3日かかったといいます。
鍋谷さんは、「災害のニュースを見たらひと事だと思わず、自分がどうしたらいいか家庭で話し合って」と子どもたちに訴えました。
【児童】
「(新潟地震当時)大人数の中、みんなで避難できて素晴らしいと思った。自分たちもケガをせず、命を大切にできるようにしたい」