きょう(6月5日)開業100年を迎えたJR仙石線には奥の深い歴史があります。今年は100年目にして初めてという新たな出来事もあります。仙石線100年の歴史です。
JR仙石線の前身となる宮城電鉄が開業したのが100年前の6月5日。当初は仙台と西塩釜を結ぶ約15キロでした。その3年後(1928年)には、現在の仙石線とほぼ同じ、石巻までの約50キロの路線が完成しました。
宮城電鉄が経営していた野外活動施設やプールも絵はがきに残されています。いずれも現在の東松島市野蒜地区にあったもので、観光路線としての役目もあったようです。仙台と石巻を結ぶ鉄路ができたきっかけ。実は、現在の栗原市に跡が残る、細倉鉱山の存在がありました。
仙台在住の郷土史家、菅野正道さんによりますと、細倉鉱山では第一次世界大戦による需要増大で、明治時代後半、亜鉛の産出量が急増。その精錬には多くの電力が使われていたため、鉱山の親会社は、近くの水力発電会社と10年間の電力買い取り契約を結んだそうです。
しかし、第一次世界大戦終了とともに、亜鉛の需要は激減、電力が余ってしまいました。その電力を他で使えないかと考えられたのが、仙台と観光地・松島を結ぶ鉄道を建設し、動力として余った電力を活用するというもの。まだ蒸気機関車がメインだった当時の東北の鉄道としては「電車」は珍しいものでした。
その後、第二次世界大戦真っ只中の1944年に国有化。路線名も仙石線となりました。
庄子喜隆さん
「目をつけたのは(観光地の)松島とかね。そこから少しずつ延伸していって、石巻まで全通になっていますけど、やはり物流、観光、人の流れ、そういったものに本当に重要な路線だなって…そのきっかけを作ったのが宮城電鉄ですよね」
宮城野区原町で印鑑店を営む庄子喜隆さん。陸前原ノ町駅の近くで生まれ育ったこともあり、鉄道ファンとして仙石線を見続けてきました。
庄子喜隆さん
「宮城電鉄時代にはここがホームだったんですよね。ここがその開業当時、日本初の地下駅なんですよ」
1925年の開業時、宮城電鉄の仙台駅は地下にありました。実はこれが日本初の地下駅。画期的なことでした。
庄子喜隆さん
「(東京メトロ)銀座線はその2年後に初めての地下鉄って言うけど、仙石線はその前に地下駅のホームがあった。あとは昭和27(1952)年にこういうふうな地上から出発するホームを作って、地下駅は乗り降りする歩行者の通路になったっていうのが、皆さんも覚えてると思うんですけれども」
中学生の頃から写真にのめりこんだ庄子さん。仙石線のお気に入りの1枚は現在の小鶴新田付近で1979年ごろに撮影されたものです。
庄子喜隆さん
「(小鶴新田も)昔はこういう水田地帯だった。そして苦竹から福田町まで何にも駅がないのでビュンビュン飛ばしていく。もう快速じゃなくてもビュンビュン飛ばしていくっていうね。ここは爽快でしたねえ。この水田地帯を走っていく仙石線っていうのがね」
長い歴史を持つ仙石線、その車両にはある特徴があります。
庄子喜隆さん
「実はこれ、首都圏で走っていたお下がりの電車なんです。仙石線と名がついている時代は、もう全て」
新しい車両が投入されたのは、前身の宮城電鉄の開業当時だけ。仙石線になってからは、首都圏を走っていた車両を使い回していました。その仙石線に今年12月、仙石線としては初めてとなる新型車両が導入される予定です。現在、新潟県内の車両メーカーで製作が進んでいるということです。
庄子喜隆さん
「なんといっても開業100年を目がけて、新しい車両を導入するんですから。期待しています」
101年目の新たな歴史へ…100年で初の新型車両は7月から仙石線の路線を使って試運転が行われる予定です。