靴店を営みながら、数々のアスリートのサポートをしている靴店「株式会社アルカ」代表の久世泰雄さん。長嶋茂雄さんが脳梗塞で倒れた2004年からトレーニングに寄り添ってきた。

3日、長嶋さんが亡くなって数時間後、久世さんは「監督」との思い出のピースをたぐり寄せるように、時折、目を細めながらインタビューに応えてくれた。

「監督、バットを振っていただけませんか」「いいよ」と二つ返事で約20回スイング

ーー長嶋監督との出会いを振り返って教えて下さい
2004年3月に長嶋監督が脳梗塞で倒れられた時に、ご縁があり私どもの靴をご提供しました。最初の頃はかなり苦痛があり、体全体を支えるような靴でスタートしましたが、長嶋監督の懸命な努力によって、しばらくすると普通のスポーツシューズを履き、装具もつけないで歩けるようになっていきました。

久世泰雄さん
久世泰雄さん
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ーートレーニングの頻度は?
毎日リハビリに励まれる中、私は毎週末の約40分間、トレーニングをご一緒していました。最初は歩行から始まり、小走りできるまで最終的には回復してきました。毎週計るタイムが短くなることが監督にとっては非常に励みになったようで、『今日は何分だった?』といつも尋ねてきて、『監督、何秒速くなりました』と報告すると、喜んでいらっしゃいました。雪が降ったある日『監督今日は雪が降ってるんで・・・』と言いかけると『大丈夫だから』とトレーニングされていて、本当に素晴らしい努力をされていたと今振り返っても思います。

ーー印象に残っているエピソードを教えてください
トレーニングをご一緒して数年経ち、私の方から、野球へなんとか復活してほしい…そういう思いがありまして、トレーニングの一環として、恐る恐る「監督、バットを振っていただけませんか」とお願いしたら「いいよ」と二つ返事で(快諾し)、それで、左手一本でですね…このトレーニング用のバット、結構重いんですけど、左手一本で素振りを、本当に右手も使ってるがごとく約20回スイングをして、今でも目に焼き付いていますが、腰が微動だにしないんですね。『腰はスポーツの基本だ』と熱弁されていました。私はもう長嶋監督の大ファンですから、長嶋選手のスイングを見た感動と、喜びでいっぱいでした。そんな中、2013年、国民栄誉賞の始球式の話しがあり、なお一層ですね、このスイングの練習に力が入ってセレモニーでのパフォーマンスにつながったんです。

トレーニング時に使用していたというバット 「3」の番号が光る
トレーニング時に使用していたというバット 「3」の番号が光る

ーー長嶋監督のトレーニングへの姿勢は久世さんの目にどう映りましたか?
監督、やっぱりですね、非常に前向きで、「もう終わったこと(脳梗塞)はいいんだ」「これから、どんどん俺はこうしたい、ああしたい」と、お話しされていました。右半身がご不自由だということを全く感じさせない…常に前向きに、トレーニングに一途に励まれるその姿っていうのは、本当に我々、今でも感動を覚えます。本当に素晴らしい。何とも言えない、その監督の前向きな姿勢には頭が下がります。

「監督、またドームに行きましょう」「行くぞ」が最後の会話に…

ーー最後にお会いした時の話を教えて下さい
一か月ほど前に監督にお会いをしました。「監督、なんとか頑張って、またドームに行きましょう」と言ったら「行くぞ、行く」とお話しされていました。やはり常にジャイアンツのことを思い、常に野球界のことを思い、心底野球が好きなんだなと。その情熱は最後まで失われなかったんだと思います。

最後となってしまった面会では、長嶋さんに力強く手を握ってもらったという久世さん。インタビュー収録のカメラが切られると「まだまだ長生きされると思っていたので、今日は本当に残念」と肩を落としていた。
(執筆:フジテレビ 報道局 阿部博行)

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阿部博行
阿部博行

現場の体温が伝わる取材・リポートがモットー。
フジテレビ報道局政治部野党担当。
2008年フジテレビ入社。ドラマ制作などを経て2022年から現職。