半世紀続く…皇室と沖縄の平和の絆

戦後80年を迎え、当時の記憶が急速に失われつつある中、世界の各地で戦争の足音が聞こえるようになった。FNNでは「戦後80年 いま、平和ですか」というテーマで、平和の現在地を探ってゆく。

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天皇・皇后両陛下は長女の愛子さまを伴い、4日から太平洋戦争の激戦地・沖縄を訪問されます。

戦後はじめての天皇家による沖縄訪問は、沖縄の本土復帰から3年経った1975年7月で、向かわれたのは、当時皇太子だった上皇さまと美智子さまでした。

太平洋戦争では、激しい地上戦の舞台となり18万人以上が犠牲となった沖縄。その歴史から、県民の間には皇室に対し複雑な感情が残っていました。

そうした中で起きたのが、「ひめゆりの塔」訪問の際、過激派2人から火炎瓶を投げつけられる事件です。

上皇さまは、その夜「沖縄の苦難の歴史を思い、これからもこの地に心を寄せ続けていく」と談話を発表され、翌日も予定を変更することなく、慰霊の旅を続けられました。

そして、沖縄に寄り添うことの1つとして続けられているのが「沖縄豆記者」との交流です。上皇ご夫妻は「豆記者」たちを毎年、静養先の軽井沢やお住まいの東宮御所に招かれました。

「豆記者」とは、沖縄の小学5年生から中学生が夏休みに東京で記者の仕事を体験するというもので、1968年には、当時8歳の天皇陛下が沖縄の踊りなどをご覧になりました。

皇室と沖縄は、この「豆記者」の存在を通して未来に向けての交流を重ねてきました。この交流は皇太子時代のご一家に引き継がれ、2004年には陛下がまだ小さな愛子さまの手を引き「豆記者」たちと笑顔で懇談されました。

戦争を知らない世代の両陛下は、「次の世代にしっかり繋ぐ」という思いの元、早くから愛子さまをこの場に伴われてきました。

「ゆいまーるの心を感じてもらいたい」愛子さま沖縄訪問へ

2016年には、当時中学3年生の愛子さまが同じ年代の「豆記者」たちと懇談されました。

このとき、「豆記者」として参加していたのが、岸本望乃叶さんと金城若葉さんだ。

岸本望乃叶さん:
(当時)小学校5年生でした。とっても緊張したのを覚えてます。とっても優しいオーラを入ってきた時から感じていて、実際お話しされた時も、目線を一緒にして頂きました。

金城さんは、好きな教科を聞かれ「歴史」と答えた際のやりとりを、こう明かした。

金城若葉さん:
「どの時代が好きですか」というお話になったので、平安時代が好きですとお伝えすると「私も平安時代が好きです」と愛子さまと意気投合できたことが、すごく嬉しくて印象に残っています。

そして、この懇談の後の出来事は、忘れられない特別な思い出になっているという。

金城若葉さん:
そこからバレーボールをすることになって、お庭に出たんですけども、天皇陛下は全てのグループを回ってバレーボールを楽しんでくださって、全てを回ってくれるということに天皇陛下のお人柄とか優しさっていうのをすごく感じました。途中で天皇陛下が転ばれるシーンがあったり、すごく一生懸命に私たちとバレーをしてくださいました。

それから6年後の2022年、両陛下が再び沖縄を訪問された際には、宿泊先のロビーで出迎え再会するなど交流が続いています。

金城さんは今回、沖縄を初めて訪問される愛子さまに対してこう話す。

金城若葉さん:
沖縄が大事にしている方言、うちーなーぐちの中に、「ゆいまーる」という言葉があります。「ゆい」は結ぶ、助け合う。「まーる」はつなぐという意味で、「ゆいまーる」の輪は沖縄の今の皆さんの中にも、大事に大事に受け継がれています。「ゆいまーる」の心というのを、愛子さまにも沖縄を訪問した際に感じていただけたら嬉しいなと思います。

愛子さまは4日、初めての沖縄へ旅立たれます。
(「イット!」6月3日放送より)

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