5月11日は母の日でした。
日頃の感謝の気持ちを込めてお母さんにプレゼントを贈った方も多いかと思います。
そんな母の日に、花屋さんのない鹿児島県三島村・十島村の子供たちのために、カーネーションを贈り続けてきた鹿児島市の男性がいます。
しかし、男性は40年以上続けてきた活動を2025年で終えることを決めました。
母の日を前にした9日、最後のカーネーション211本が島の子どもたちへ贈られました。
鹿児島市で生花店を営む田知行義久さん。
田知行さんは毎年、母の日に合わせて三島村・十島村の子どもたちのためにカーネーションを贈ってきました。
活動を始めたのは1981年。
きっかけは「三島村・十島村にはお花屋さんがなくて、母の日にカーネーションを贈れない」という話を聞いたことでした。
こちらは2006年にKTSが取材した、鹿児島県の竹島の様子です。
そこにはカーネーションをもらって笑顔を見せる子供たちの姿が。
田知行さんから届く、年に一度のカーネーションを島の子どもたちは心待ちにしていて、感謝の気持ちとともに、お母さんにカーネーションをプレゼントしてきたと言います。
2025年で45年目となるこの活動。
準備は家族の手を借りながら、一日がかりです。
朝、仕入れたばかりのカーネーション。
長さを揃えてラッピング。
ひとつひとつ丁寧に仕上げていきます。
田知行義久さん
「リボンまでできたらもらう方も喜ぶから」
2025年準備したカーネーションは三島村・十島村合わせて211本。
なかには三世代にわたって、田知行さんからのカーネーションを受け取った家族もいるそうです。
田知行義久さん
「もらってくれて喜んでもらえればありがたいかな。渡しながら『お母さんありがとう』の言葉を子どもたちが発してくれればそれでいい」
義久さんの次男・田知行義仁さん
「花屋のない島の子たちにお母さんに感謝する日を作りたい、と照れくさそうに言う父が誇らしかった」
40年以上続けてきた原動力。
それは島の子どもたちからの感謝の手紙です。
田知行義久さん
「お母さんとケンカしていたが、花のおかげで『お母さんありがとう』と伝えられ、お母さんと仲良くなれて、田知行さんのおかげと手紙をもらい、うれしかった」
三島村・十島村の子どもたちの母の日のお手伝いをしてきた田知行さん。
しかし、77歳になる2025年を最後に、カーネーションを贈る活動に終止符を打つことにしました。
田知行義久さん
「いつかどこかで、何かの区切りをつけなきゃいけないかなと。亡くなった母も『よく続けたね、よく続いたね』と言ってくれていた」
この日の夕方。
鹿児島市のフェリーとしまの待合所でカーネーションの贈呈式が行われました。
朝から準備したカーネーションを手渡した田知行さん。
長年の活動に、十島村の久保源一郎村長から感謝の言葉が贈られました。
十島村・久保源一郎村長
「三世代続くような形で島の子どもたちに夢を与えてくれた」
田知行義久さん
「最後という言葉は好きじゃないが、できることなら何らかの形で続けられる事業があったらと願望がある」
フェリーとしまで運ばれたカーネーションは無事に島の子どもたちのもとへ。
「お母さん ありがとう」
田知行さんのカーネーションは、2025年も子どもたちが感謝の気持ちを伝える場面に花を添えていました。