1955年、高松市沖の瀬戸内海で修学旅行生など168人が犠牲となった旧国鉄の宇高連絡船、「紫雲丸」の沈没事故から2025年で70年を迎えました。慰霊碑のある高松市の寺では、鎮魂の祈りが捧げられました。

5月11日、高松市の西方寺で行われた慰霊式には、事故の当事者や遺族など約20人が参列しました。1955年5月11日、高松市と玉野市を結んでいた旧国鉄の宇高連絡船、紫雲丸は、高松市女木島沖で貨物船と衝突して沈没し、船に乗っていた修学旅行中の小中学生(高知・愛媛・島根・広島)など168人が犠牲になりました。

この事故は社会に大きな衝撃を与え、その後、香川県と岡山県を結ぶ瀬戸大橋建設運動へとつながっていきます。

愛媛県から参列した青野敏子さん90歳。20歳の時、8歳違いの弟を事故で亡くしました事故から70年を迎えた2025年、初めて慰霊式に参列しました。

(事故で弟(当時12)を亡くした青野敏子さん)
「(顔は)包帯をしているから着ているもので弟と分かって連れて帰ったつらいと思った弟が生きていれば話し相手ができるのにといろいろ思う」

当時、島根県松江市の小学6年生だった白石力さんは、修学旅行のため紫雲丸に乗っていました。九死に一生を得た白石さんは、70年経った今でも事故の光景を鮮明に覚えています。

(紫雲丸に乗っていた白石力さん)
「あれだけのショックがあったら恐怖とかのレベルではない生きるとか死ぬとかも頭の中にない目の前に何が起こって自分が何をしているのか今から思い出しても頭の中は真っ白」

事故で21人の同級生を失った白石さん。同じような悲劇が繰り返されないことを願い続けています。

(紫雲丸に乗っていた白石力さん)
「事故で死ぬために生まれてきたわけではない。世の中を良くするために生まれてきたはずなのに志半ばに亡くなった亡くなった本人はつらかったと思う」

168人の尊い命が失われて70年の節目の年。参列者は、改めて命の大切さを心に刻んでいました。

岡山放送
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