青い海に映える真っ白なアーチ。沖縄本島と本部町の瀬底島を結ぶ架け橋、瀬底大橋が紡いだ40年の物語。かつて不便な暮らしを強いられていた島民の生活はこの橋の開通によって一変した。

今や観光客で賑わう活気ある島へと変貌を遂げた瀬底島。島の繁栄を支え人と人との出会いを生み出してきた瀬底大橋の40年とは。

"島ちゃび"からの解放

沖縄本島北部、本部半島の先端から約1キロ先に浮かぶ瀬底島。沖縄本島との間に架かる真っ白なアーチ橋、瀬底大橋が2025年で開通40周年を迎えた。

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全長762メートルのこの大橋が完成したのは1985年2月13日。それは島民にとって「島ちゃび(離島苦)」と呼ばれる離島の不便さからの解放を意味する歴史的な一日だった。

40周年を記念して瀬底島で祝賀会が開かれた。

「40年になったかねという気持ちです」と語るのは長年島で暮らす住民だ。橋が架かる前、島民の生活は常に海の天候に左右されていた。「小さいころは海が荒れたら船が出ていませんでした。本島で用事を済ませて帰ろうとすると急な悪天候で船が出せず仕方なく浜で一晩泊まったこともあります」と当時を振り返る。

映像に残る「瀬底渡し船」

沖縄テレビにには、瀬底大橋開通当時の様子や橋が架かるまでの長い道のりが映像記録として残されている。

2025年2月、瀬底公民館で開かれた上映会には多くの島民が集まり、映像を通して当時を懐かしんだ。

「私は映像を見ながら涙をずっと流していました。橋のありがたさをぜひ子どもたちに伝えたいです」とある住民は感慨深そうに語った。

瀬底島と沖縄本島を結ぶ唯一の交通手段だったのは渡し舟だ。

映像に残る「第五瀬底丸」をはじめとする渡し船への感謝の気持ちは今も強く、2024年5月には「瀬底渡し船」の歌詞を刻んだモニュメントが建立された。

瀬底区の内間清彦区長は「先人たちが苦労したことを忘れないように子々孫々に伝えたいという思いで歌碑を建てた」と語る。

架け橋がもたらした新たな出会い

瀬底大橋は島の経済発展だけでなく、人と人との出会いも生み出してきた。

「私は島の人間ではなくお嫁に来て30年ほど経ちますが、橋が開通したおかげで瀬底の方と巡り会って一緒になれました。橋に感謝です」と語る女性。

橋の開通以降、瀬底島は美しいビーチを求めて多くの観光客が訪れる人気スポットへと変貌。かつて島民だけの静かな島だった場所は、今や沖縄県内外から多くの人々が訪れる活気ある島となった。

50周年へ向けて

内間清彦区長は40周年記念式典で次のように語った。

内間清彦瀬底区長:
瀬底大橋が開通し早くも40年の歳月が経ち、大橋架橋が当たり前の生活となり、あの感動を忘れつつある昨今ですが、私たちは40年前の瀬底大橋架橋にご尽力くださいました多くの方々に改めて感謝の意を示すとともに、開通50周年に向けて安心で安全な住みよい豊かな島づくりに邁進していきます

青い海に架かる白い橋は今や日常の風景となったが、島民の心の中には40年前の感動が今も息づいている。

瀬底大橋はこれからも島と島、そして人と人を結ぶ架け橋として島の繁栄を支え続けていくだろう。

(沖縄テレビ)

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