北朝鮮・平壌で4月6日に開催された平壌国際マラソンには、約200人の外国人ランナーが参加した。平壌マラソンの開催はコロナ禍以降6年ぶりとなる。閉鎖的な北朝鮮の実情を知るには格好の機会と言え、マラソンを口実に北朝鮮潜入を試みた旅行系ユーチューバーの姿が目立った。
6年ぶりの平壌マラソン“観光中に守るべき4つの原則”
イギリス人ユーチューバー、ハリー・ジャガード(Harry Jaggard)氏もその一人だ。ジャガード氏は登録者約233万人の人気ユーチューバーで様々な国を訪問している。

彼によると、北朝鮮当局は観光中に守るべき4つの原則を提示した。
(1) ガイドから離れないこと
(2) ガイドの許可なしに撮影しないこと
(3) 金正恩(キム・ジョンウン)総書記を軽んじる発言をしないこと
(4) 宗教的物品を配布しないこと
北朝鮮側が外国人旅行者の行動を徹底的に監視し、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記の尊厳維持を最重視する方針であることがよくわかる。
観光名所を新旧織り交ぜて
5泊6日のツアーで北朝鮮側は、平壌の観光名所を新旧織り交ぜて案内した。

金日成・金正日像が立つ万寿台の丘での献花、平壌地下鉄への試乗といった伝統的な観光ルートに加えて、金総書記が現地指導したスマート農場や新たに建設された「林興通り」住宅、平壌総合病院などを訪問した。いずれも北朝鮮が「金正恩体制の成果」として「見せたい場所」ばかりだ。
訪問先でカメラを回しコメントするユーチューバーの存在には、ガイドも目を光らせていた。だが、ガイドの対応からは、これまでにない変化も感じられた。
ジャガード氏が金総書記について、男性ガイドに質問したときのことだ。
「金正恩にあったことある?」
「金正恩?…あ、もちろんあります。会ったというか写真でいつも見ている」
「北朝鮮を訪れた人に一番知ってほしいことは?」
「私たちには偉大な指導者がいることです」
「金正恩には娘がいる?」
「はい」
「彼女は次の指導者になるのか?」
「よくわかりません(I’m not sure)」
過去に何度も訪朝取材をした経験から言うと、以前は最高指導者を呼び捨てにしたり、家族について質問したりすることは完全にタブーだった。肖像画を勝手に撮影することも許されず、ガイドが険しい表情で制止した。抵抗すると国外退去になることもあった。
しかし、今回は最高指導者に関する話題が出ても、ガイドは比較的穏やかに会話を続けた。ユーチューバーが“金正恩”と呼び捨てにしても注意することもなく、娘「ジュエ」氏に話題が及んだ際も率直に回答しているように見えた。
もっとも、この映像が北朝鮮内部で問題になり、男性ガイドが厳しい処罰を受けた可能性もゼロではない。
外国人観光客に対する統制の緩み
北朝鮮は平壌マラソンに先立ち、2月末に北東部の羅先(ラソン)経済地区での外国人観光を再開していた。しかし、わずか3週間で突然、全面的に中断した。
北朝鮮側はその理由を明らかにしていないが、「観光客の統制不備」が原因ではないかと指摘された。
羅先ツアーに参加した韓国系ユーチューバーによれば、事前に北朝鮮当局から「銀行などの主要施設では写真および動画撮影は禁止」との説明があったが、大半の観光客はこれを無視し自由に撮影していたという。
「写真を撮るなと言われたが、みんな無視して撮影している。ガイドも何も言わないので、撮影が黙認されているようだ」(参加したユーチューバー)
こうした外国人観光客に対する統制の緩みが問題視されたと見られている。

だが、いかに規制の厳しい北朝鮮であっても、外国人観光客の行動を完全に統制するのは困難だ。外国人観光客の誘致を進める北朝鮮にとって、今やユーチューバーによる宣伝効果は無視できない。その意味で、ユーチューバー対策は待ったなしの課題となっていた。
「未知の閉鎖国家」「知られざる観光地」としての北朝鮮はユーチューバーやインフルエンサーを惹きつける。一方で彼らを受け入れれば、北朝鮮の「遅れた」「貧しい」部分や金正恩体制への疑問など北朝鮮当局が望まない発信も拡散されてしまう。
北朝鮮のイメージアップや観光誘致にユーチューバーを効果的に使うにはどうすべきか、ガイドが統制一辺倒ではなくソフト対応に切り替えたのも、北朝鮮側の試行錯誤の一環と言えるだろう。
「現地の人との“交流”はほぼなし」ツアーでの違和感
ジャガード氏は北朝鮮でのツアーの印象をこう語った。
「地下鉄では『現地の人と交流を』と言われたものの、実際には現地の人との“交流”はほぼなし。明らかに俳優のような人が途中から列車に乗り込んできたりし、演出の匂いもありました」
ミサイル通りと呼ばれる新開発エリアを歩いた際には次のように感じた。
「巨大なモニターからプロパガンダ音楽が流れており、建物は新しいけれど、バルコニーには人影も洗濯物もなく、住人の気配がありませんでした」

「北朝鮮の人々はとても親切で優しかったが、カメラを回していない時は多くの話ができたのに、カメラを出すと突然マニュアル通りの受け答えに変わる」
ユーチューバーの多くは北朝鮮の人々がどのように考え、暮らしているのかを直接知りたいと考える。だが、その願望を叶えるのは容易ではない。閉鎖性の強い現体制の下では、北朝鮮の人々が自由に発言したり、行動したりすることは許されないからだ。

北朝鮮は「元山葛麻(カルマ)海岸観光地区」や「白頭山観光地区」などを整備し、外国人観光客の誘致に力を入れる姿勢を見せている。しかし、ツアー料金はかなり割高だ。今回の平壌ツアーは5泊6日で1人2195ユーロ(約34万円)もした。参加者は自由時間なし、インターネット使用の制限など、他国と比べて様々な制約を課せられる。好奇心を満たすだけの目的では観光客の爆発的な増加は難しい。
北朝鮮が今後、観光客の「自由度」をどこまで認めるのか、そしてそれが北朝鮮の「閉鎖性」にどこまで風穴を開けるのか、注目したい。
(フジテレビ客員解説委員、甲南女子大学准教授 鴨下ひろみ)