2025年で終戦から80年となる中、旧日本陸軍が使用していた戦車がアメリカから戻ってきた。尽力したのは御殿場市に住む男性で、その裏には大きな野望がある。
国内には現存しない九七式中戦車改が“帰国”
3月24日、横浜港に旧日本陸軍が使用していた九七式中戦車改が到着した。

一方で、これまで国内には1台も現存する車体がなかった。
実現させたのは防衛技術博物館を創る会の小林雅彦 代表で、「本当にアメリカ人が大事にしてくれていたので、これを私たちがバトンタッチして受け継いで、歴史の証人として次の世代に残していかなければいけない」と話す。

九七式中戦車改は元々、アメリカのテキサス州にある太平洋戦争国立博物館で半世紀以上展示されていて、交渉を始めてから7年かけての帰還となったが、小林さんが国産の戦車を“帰国”させるのはこれで2回目だ。
過去には九五式軽戦車などの帰還も実現
2023年4月にお披露目された国産の九五式軽戦車は、イギリスで保管されていたものを交渉の末に日本へと持ち込み、仲間と共に修理。

走行の様子を目にしたファンは「こういったものを後世に語り継いでいくというのは大事なこと。おかえり、九五式戦車」と感激した様子で、別のファンは「映画とかゲームだと小さい戦車だったが、まさかこんなに大きいと思わなかった。こんな機会なかなかないと思うので、2台目・3台目があったら申し込もうと思っている」と興奮気味に話した。
また、9年前には世界初の小型四輪駆動乗用車として日本で開発された九五式小型乗用車、通称「くろがね四起・前期型」を復元。

この時、小林代表は「(くろがね四起は)日本の当時の工業技術で作れなかったものを設計で補うなど工夫をたくさんしていて、突き詰めていくとその工夫は足りない部分を補うためであり、すごいアイデアが詰まっている。現物が残っているというのは、それを見ることができるということなので、現物を残す大切さを感じてほしい」と話していた。
さらに、北海道で除雪車として使われていた九五式軽戦車を改造したブルドーザーを譲り受けるなど、戦時中に使用された戦車や軍用車を技術遺産として後世に残そうと地道に活動を続けてきた小林代表。
苦難の連続の末に…夢はまだ続く
今回、九七式中戦車改を日本へと戻すにあたっては苦難の連続で、警察から「銃刀法に抵触する可能性がある」との指導を受けたことから大きな特徴の1つである戦車砲を取り外すことに。

また、博物館から最も近い港からは日本への直行便がなく、急遽、直行便のあるロサンゼルス港まで陸路で運ぶなど 想定を超える費用が発生したためクラウドファンディングを実施。
目標を大きく上回る1700万円が集まり、何とか海を渡ることができた九七式中戦車改は横浜港から約3時間をかけて御殿場市にやって来た。

部品を探すところから始めなければならないため、修復には少なくとも3年はかかる見通しだが、小林さんは「もう一度、息を吹き込んで動くようにしたい。当時のエンジン音をまた日本で響かせることができるということで、この戦車は幸運な個体だと思う。その意味を自分たちも考えながらネジ1本おろそかにせず修復したい」と目を輝かせ、「『前例がないものをやるのには10年かかる』と先輩にも言われていたが、もう12年目。そろそろ形にするようにあきらめずに1歩1歩進みたいと思うし、いよいよゴールは見えてきたと思う」と話す。
戦争で使われたものを負の遺産としてではなく日本の技術力の高さの象徴として次世代につなぐ…小林さんの夢はこの先も続いていく。
(テレビ静岡)