女子プロレス団体センダイガールズプロレスリング「仙女」の中心だった里村明衣子選手(45)が2025年4月、引退する。リングに立ち続けて30年、東日本大震災など、数々の試練を乗り越えてきた里村選手。選手として完全燃焼した後は「プロレスの大ブームを作りたい」と話す。

強さを追い求めたトップレスラー
「女子プロレス界の横綱」と呼ばれる里村明衣子選手。仙女のトップレスラーとして、日本の女子プロレス界を引っ張ってきた。現在は仙女の社長も務める里村選手。仙台市若林区にある練習拠点「仙女道場」で後進の育成にも励んでいる。

「仙女は練習が厳しいと言われているけど、それが当たり前。彼女たちの体がちゃんと証明してくれている」と話す里村選手。仙女でプロレスの世界に入り、エースに成長した橋本千紘選手は「里村さんの所に行ったら一番強くなれるというのは中学生の時からすごく思っていた。一番ストイックな人についていきたかった」と里村選手への憧れと信頼を示す。
プロレスへの憧れと挫折
新潟県出身の里村選手。プロレスとの出会いは中学2年生の時だった。橋本真也さんや長州力さんへの観客の熱狂ぶりを見て、プロレスラーはかっこいいと強く思ったという。

中学校を卒業後、プロレスの世界に飛び込み、当時の史上最年少15歳でデビュー。スター街道を突き進んだが、25歳の時に所属団体が解散した。

「すごく悔しかった」と当時を振り返る里村選手は、解散を告げられた日を「屈辱の日」と表現する。自分が夢見て入った世界が突然なくなった日だ。
失意の中、里村選手の才能にほれ込んだ当時のみちのくプロレス社長・新崎人生選手から声をかけられた。里村選手を中心とした新団体の旗揚げ。仙女が生まれた瞬間だった。
仙女・里村明衣子の軌跡
オーディションの結果、仙女に入団した4人は全員が初心者。里村選手は自らの練習を深夜に行いながら、練習生の指導にあたった。その甲斐あって、旗揚げ戦では入門からわずか6カ月の新人たちが堂々の戦いぶりを披露。里村選手自身もアジャコング選手に勝利し、無謀と呼ばれた挑戦を成功させた。

後輩選手が育ち、団体としてもこれからという2011年、東日本大震災が起こる。興行やイベントはすべてキャンセルに。試合ができない状況が続く中、仙女は宮城県内でチャリティーマッチを開いた。「試合を見て勇気をいただきました」「頑張ってください」。里村選手は見に来てくれた人にかけられた言葉が今も忘れられないという。「やっぱり私は仙台でやるんだという自覚が芽生えた」。そう当時を振り返る。
「やっと納得ができた」引退を決断
試合中のけがで長期の欠場を強いられたこともあった。失明も考えられる大けがだったが、少しでも復帰の可能性があるなら精いっぱい頑張ろうとリハビリを重ね、わずか1年で復帰した。その時に芽生えた「最後はけがで引退したくない」という思いが、里村選手の今につながっている。

プロレスラーとしてデビューして30年。「自分自身がやっと納得ができる、プロレスラーとしてもうやり切ったと思えるところまで来たと思った」。そう話す里村選手の表情は晴れやかだ。45歳となり、人生がもう一周できるうちに健康な体で引退することを考えたのだという。

引退試合はデビュー戦を行った東京・後楽園ホールで2025年4月、行われる。試合に向けての気持ちを聞くと「完全燃焼したい」と力強く答えてくれた。
リングに描く夢 これからも
度重なる試練を乗り越えて、トップレスラーであり続けた里村選手。順風満帆とは決して言えない30年だった。引退後はゆっくりするのかと思いきや、叶えたい夢があるのだという。

里村明衣子選手:プロレスの大ブームを作ってみたい。大スターを誕生させて大ブームを作って、日本中がプロレスに熱狂するような世界を作りたい。
憧れと夢を追ってプロレスの世界に飛び込んだ15歳の少女は、30年経ってなお、リングに夢を描き続けている。