北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記の権力継承から13年余りが過ぎた。住民への監視や思想統制も強化され、住民による反政府デモや軍事クーデターなどが起きる余地は全く無いように見える。だが韓国の政府系シンクタンク・国家安保戦略研究院の高在弘(コ・ジェホン)主任研究員は最近の報告書で、住民蜂起の可能性が高まっていると指摘し、内部に政権崩壊につながりかねない動きが進行しているという。いったいどういうことか。
金総書記を「嘲笑」?
金総書記は2011年12月、父親の死によって実質的に権力を継承した。まだ27歳で統治経験も権威も不足した状態での権力継承に、金正恩政権はいずれ不安定化し早期に崩壊するとの見方もあった。

だが、金総書記は叔父で後見役の張成沢(チャン・ソンテク)氏を粛清するなど、無慈悲な手法で政治基盤を固めていった。最近ではエリート幹部を養成する党中央学校に先代2人と並んで初めて金総書記の肖像画が掲げられ、金正恩バッジも登場した。
最高指導者の地位を脅かす存在はなくなり「金総書記の権威はかつてなく高まっている」こういう見方が一般的だ。
これに対し、高在弘研究員は「海外独裁政権の崩壊事例と北朝鮮への示唆」と題する報告書の中で、北朝鮮内部の「反政府的な広範な勢力の形成」と「軍内部の格差による潜在的分裂」が住民蜂起の可能性を高めていると指摘した。そして北朝鮮で反政府勢力として潜在的な脅威になり得る存在として、若年層であるMZ世代(1980年代~2000年代初旬の生まれ)を挙げた。
彼らは配給制度など社会主義の恩恵を知らずに育った世代で、金総書記や党への忠誠心が揺らぎやすいと見られている。

このため金正恩政権は以下の法律を制定し、彼らの思想、言語、行動を厳しく統制してきた。
・「反動思想文化排撃法」(2020年)…韓国ドラマの視聴を最高15年の懲役、制作や流通を死刑に処する規定
・「青年教養事業法」(2021年)…外見や行動の自由を制限
・「平壌文化語法」(2023年)…韓国語や韓国式表現を全面的に禁止
これらの法律が特に警戒対象としているのは、16~24歳の若者で約300万人に上る。彼らは数年後には軍の一部(30万人)を構成し、さらに5年後には約600万人に拡大すると予測されている。

北朝鮮当局は最近、若者の間で流行している「金正恩風のズボン」や「髪型」を禁止したとされる。理由は明らかにしていないが、金総書記を「嘲笑」の対象としているためと見られている。これは、金正恩政権に対する「反感」や「不満」の共有が若者世代に広がっていることを意味する。この世代が数年後に政権への不満を「抵抗運動」として顕在化させる可能性が高いという。
カギを握る軍部
だが、民衆が蜂起しただけでは独裁政権は崩壊しない。それを決定づけるのは「軍の態度」だと報告書は指摘する。
過去数十年間の独裁政権崩壊事例をみれば、反政府デモに対して中立的な態度を取ったことで政権が崩壊した「軍中立型」と反政府デモに同調したりすることで政権崩壊に至った「軍参加型」の二つに分類される。前者はフィリピンのマルコス政権やチュニジアのベンアリ政権、後者はルーマニアのチャウシェスク政権やリビアのカダフィ政権がそれぞれ崩壊した際にみられた「軍の態度」だ。
果たして北朝鮮では、軍が反政府デモの鎮圧命令を拒否したり、積極的にクーデターや内戦を起こしたりして、政権を崩壊させる可能性はあるのだろうか?

他国で独裁政権が崩壊した際には、軍や秘密警察内部の差別待遇が崩壊を後押ししたとされる。北朝鮮軍の内部でも核・ミサイル開発の重視により、北朝鮮の伝統的な前線軍団や砲兵・戦略軍の序列が破壊され、軍内部で格差が深刻化しているという。したがって、もし若手指揮官層が不満を抱えている状況で住民が蜂起すると、彼らは鎮圧命令を拒否し、反政府的な態度を取る。それが軍高官の決定に影響を与え、結果的に軍が住民蜂起を支持する形でクーデターなどの行動を起こすというシナリオだ。
加えて、軍にはもう一つ、大きな懸念がある。ロシア派兵の影響だ。

約1万2000人の北朝鮮兵士はロシア西南部クルスク州に移送され、ウクライナとの戦闘の最前線に投入されている。ウクライナ軍の捕虜となった2人の北朝鮮兵士は、「実戦のような訓練」と言われて戦闘相手が誰なのかも知らないまま現地に送られたと証言した。北朝鮮に残る家族もロシア派兵については知らされていないという。

現代戦に不慣れでロシア語も不自由な北朝鮮兵士は、ドローン攻撃の標的となり死傷者が増え続けている。韓国の情報機関はこれまでに300人が死亡、2700人が負傷したと推定している。米国の戦争研究所は1日に92人程度の死者が出ており、このペースなら北朝鮮兵は4月にも全滅すると予測している。
北朝鮮では兵士の家族を隔離するなどロシア派兵の事実は伏せられているが、犠牲者が増えれば社会的な動揺だけでなく、軍内部の不満も拡大すると見られている。
短期の政権崩壊も?
報告書では独裁政権の崩壊プロセスを次のように整理している。
(1) 独裁政権の政策が特定の地域・階層・世代に不満を蓄積させ、不満が広範囲にわたり共感を得る
(2) 「導火線」となる象徴的な事件が発生し、集団行動が引き起こされる
(3) 当局が強硬な対応を取り、反政府デモが拡大・激化する
(4) 軍が中立を保つ、あるいはクーデターを起こす
(5) 独裁政権が崩壊する
「導火線」となる事例はさまざまだ。各国では「青年の焼身自殺」「パンの価格高騰」「権力の世襲」などが大規模な反政府デモの引き金となってきた。また、独裁政権崩壊が短期間で進む場合もある。ルーマニアのチャウシェスク政権は24年の支配の後、蜂起から8日で終焉を迎え、エジプトのムバラク政権も2週間で崩壊した。北朝鮮も例外ではなく、報告書は、住民の不満や軍の内部事情が連動することによって、短期間に政権崩壊が起こる可能性があると分析している。

もちろん、北朝鮮では徹底した思想統制と相互監視システムにより、住民の自由な行動は厳しく規制されている。他国に比べて反政府デモや民衆蜂起が起きる可能性は極めて低い。だが、どんなに統制を強めてもほころびは生じ得る。ウクライナで捕虜になった北朝鮮兵士の一人は「恋愛映画が見たい」と希望したという。この率直な願望から透けて見えるのは、北朝鮮の若者たちが持つ根源的な欲求だ。

北朝鮮のMZ世代は今後、北朝鮮社会にどんな変化をもたらすのか。独裁政権は永遠ではない。さまざまな可能性を念頭に北朝鮮をウォッチしていく必要があろう。
(執筆:フジテレビ客員解説委員 甲南女子大学准教授 鴨下ひろみ)