2024年8月に宮崎県で発生したマグニチュード7.1の地震で、50代男性が心肺停止になったが、同僚たちの迅速な救命措置で命を救われた。工場では年6回の救命講習と年2回の避難訓練を実施し、連携の重要性が徹底されている。この準備が同僚の命を救う事につながった。

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2024年8月に宮崎県を襲ったマグニチュード7.1の地震で、宮崎県内では重傷者2人を含む合わせて10人がけがをした。重傷者のうちの1人は、日向市の工場で勤務中だった50代男性で、避難中に一時、心肺停止となったが、同僚の助けで一命をとりとめることができた。当時、現場はどのような状況だったのか、災害時に命を救った行動に迫る。

津波注意報発表で屋上へ避難…その時

2024年8月8日午後4時42分。日向灘を震源とするマグニチュード7.1、最大震度6弱の地震が発生。宮崎県沿岸部には津波注意報が発表され、宮崎県日向市細島では地震発生から約30分後の午後5時13分に津波の第一波が到達した。

日向市細島港から約350mの位置にある、旭化成バッテリーセパレータのハイポア日向工場は、有事に自動で閉まる防潮堤が発動し、当時、工場内にいた100人以上が海抜16.4メートルの屋上へ避難した。

生産技術課 木野智博さん:
震度3とはいえ、防潮堤が閉まることはそんなに起きないので、やはりただことじゃない、何かが起こっていると思った。

生産技術課の木野智博さんは、部下の男性と2人で急いで屋上へ…その時。

救命に当たった 木野智博さん:
何か後ろでバタンって音がして、あれ、と思って後ろを振り返ったら、自分の目の高さに誰もいなくて、斜め下を見たら、彼がうつ伏せに階段のところで倒れていて、あれっと思って声をかけ始めた。

助けを求め、救命措置にあたる

木野さんは屋上にいた同僚たちを大声で呼び、助けを求めた。

救命に当たった木野智博さん:
呼吸が停止していることがわかって、その時点で「圧迫しないといけないね」と言って、その瞬間から動いた。

救命に当たった 木野智博さん:
心臓に元々不安を抱えていたのも聞いていたので、もしかしたらと思ってその可能性もあるかなと思って、念のためAEDも用意しましょうと言った。

木野さんは、助けに来た岩切さんと上山さんと一緒に、救急車が来るまでの約20分間、心臓マッサージを行いAEDも使用した。懸命な措置によって、男性は救急隊の到着前に心拍が再開。2日後には意識が回復し、現在は職場復帰している。

命を救った同僚たちの「連携」

上山祐紀さん:
自分たちの処置で、まず心臓の動きも戻ってくれたのが、もう本当に良かったと思った。

岩切進一さん:
1人でできることは少ないと思う。でも、その連携で1人助かってるなら、それで十分。

木野智博さん:
私がやるの?俺がやるの?とか、俺がやらなくても他の人がやってくれるだろうとか、それでチャンスを失うのが一番怖いと思う。もし自分がわからないとしても、人を呼んで力を合わせれば何とかできる。

日頃の救命講習や避難訓練

この工場では年に6回、消防署で救急救命の講習を受け、年に2回、工場内で避難訓練を行っているという。担当の部署が毎回違うシナリオを考えて、訓練を重ねてきたことで、突然の地震、同僚の心肺停止という緊急事態でも従業員の連携で命を救う行動につながったという事だ。

(テレビ宮崎)

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