1枚の写真をきっかけに、その家族はニューヨークに降り立った。ダウン症への理解と支援を進めるチャリティーイベントに参加するためだ。ダウン症の娘と共に生きる父・船田興起さんはそのイベントで何を見たのか?
消えない不安と社会との「壁」
美しい街路樹が並ぶ広島市内。目の前の停留所にバスが止まり、1人の女の子が降りてきた。
この記事の画像(18枚)船田このか、20歳。私の娘だ。
「お父さん」
私に気がつくと、たちまち笑顔になり手をふった。
このかが生まれ、ダウン症だとわかった時、何も知らなかった私は不安で押しつぶされそうだった。そんな思いとは裏腹にこのかは、ゆっくりゆっくり成長していく。いつしか不安は消え、共に生きる喜びへと変わった。ただ、一緒に過ごす日々の中で、社会との壁を感じることもある。それは、ダウン症の子どもを育てる保護者に共通する思いだ。
日本ダウン症協会広島支部が開催した講演会。参加した保護者から、こんな不安を耳にした。
「見た目で障がいがあるというのがわかるじゃないですか。これから大人になって一人で外出するようになった時にどんな障がいがあるのか、人の目をどう感じるか。そこが不安になります」
また、講演をした日本相談支援専門員協会・金丸博一副代表理事は「アメリカや欧米に比べて、日本は障がいがある人を『かわいそう』と思う人もまだまだいっぱいいると思いますよ」と話す。
1枚の写真が渡米のきっかけに
特別支援学校を卒業したこのかは、第三もみじ作業所「こねこね工房」で週に5日、パンを作る仕事をしている。
20年前には想像できなかった姿だ。
2024年、成人式にも出席。この時に撮った写真が全米ダウン症協会のイベントに採用された。
このイベントに参加するため、私たち家族はアメリカへ向かった。
ニューヨークの街をこのかと手をつないで歩くのは妹のそよ夏。ピンクのイベントTシャツをまとい、姉妹おそろいの服装。これはそよ夏のアイデアだった。コーディネートのコンセプトは「ザ・たっち(双子)」だと言って、家族を笑わせる。
イベント開始までもうすぐ。
ーーどんな気持ち?
「ワクワクした感じです」
このかは、その時をとても楽しみにしていた。
世界のダウン症者500人の大舞台
タイムズスクエアの大型ビジョンに、世界から応募のあった写真3000枚の中から選ばれた500枚が映し出される。
次々と紹介される世界各国のダウン症者たち。
写真がかわるたび、どこかで歓声が上がった。それぞれの家族が喜びを分かち合っているのだ。
このかはじっとモニターを見つめていた。
そして…
「映った!」
このかは手をたたき、飛び跳ねて喜んだ。
全米ダウン症協会のカンディ・ピカード会長は「ニューヨークの中心で家族が認められ紹介される。これほど大きな舞台はありません。訪れる人がダウン症について知るきっかけにもなります」と意義を唱える。
家族や仲間も一緒に2500人が行進
イベントはこれだけではない。ダウン症の人と一緒にセントラルパークを歩く「バディウォーク」。
これは1995年にアメリカで始まったチャリティーイベントで、2024年に30回目を迎えた。今回は約2500人が参加。企業などから4400万円を超える寄付が集まった。これらの寄付はすべてダウン症者のために使われる。
61歳の兄と参加した家族は「兄の写真がタイムズスクエアに映るのでロンドンから来ました」と言う。
親族がチームとして行進する団体もあった。頭にティアラを着けているのがダウン症のエヴァちゃん。多くの親族に囲まれている。
親族の一人はこう話す。
「私たち家族は彼女の存在から多くのことを学びました。だから私たちはここにいます。彼女を支える仲間がいることを世界に伝えるために」
新たな出会い、そして物語は続く
イベントの途中、28歳のダウン症の男性とその母親に出会った。
「私の息子、ジョーです。彼はプロのDJで自分の会社を持っています。バディウォークに参加するのは23回目よ」
「お名前は?」
「このか」
「私の息子は日本語を勉強していて、夢は日本に住むことなんです。あなたに会うのは運命だったのね。ニューヨークへようこそ。彼女はタイムズスクエアに映ったの?」
このかの写真が映ったことを伝えると、その母親はまるで自分のことのように喜んでくれた。
カンディ・ピカード会長は「ダウン症の人にはまず『こんにちは』とあいさつしてみてください。恐れなくても大丈夫です。きっとすてきな物語と人に出会えますよ」と話す。
現在「バディウォーク」は世界中に広まり、広島では2018年と2019年の過去2回、日本各地で開かれている。
次はどんな物語が待っているのだろうか。このかに出会えて良かった。
父・船田興起
(テレビ新広島)