奥能登豪雨の犠牲となった中学3年生の喜三翼音さん。翼音さんの祖父の誠志さんは、輪島塗の蒔絵師だ。
翼音さんの告別式から1週間後、家族の姿は店先にあった。
そこには翼音さんがお気に入りだった、祖父 誠志さんが手がけたある作品が並べられていた。
豪雨災害で犠牲 亡き孫への思い
喜三誠志さん:
「可愛いし絶対に売れるからこれいっぱい作った方がいいって、翼音が売ってあげる」って
言ってたんですよ…
10月19日、金沢市内のイベントに出張輪島朝市の一員として出店したのは、翼音さんの祖父、喜三誠志さんだ。店先には孫、翼音さんの写真が飾られていた。
誠志さん:
翼音の気持ちも考えて、やっぱりみんなで頑張っていこうと。そういう風に決めて、頑張ろうとしてます。
豪雨災害前の2024年5月、石川テレビの取材映像には、クラスメイトと楽しげに過ごす翼音さんの姿があった。
しかし、このおよそ4カ月後…
中学3年生の翼音さんは、能登半島を襲った記録的豪雨の犠牲者となってしまった。
行方が分からなくなって10日。翼音さんは福井県沖で、地元の漁師によって発見された。
父・鷹也さん:
漁師さんが「娘さんは頑張りました、褒めてあげてください」と言った言葉に、涙が止まりませんでした。じいちゃん、ばあちゃんの出張朝市の手伝いをしたいと言ってました。
14歳という若さで亡くなり、これ以上の悲しみはありません。
取材に応じる理由とは…
しめやかに営まれた翼音さんの葬儀。孫を失った悲しみの中、誠志さんは報道陣の取材に応じてくれる理由を明かした。
祖父・誠志さん:
つらくて、悲しくて、さみしかったですよ。未だにまだ現実を受け止められてはいないです正直言って。
翼音の死を絶対に無駄にしたくないですし、これから色んな災害が起こると思うんですよ。
その時に何もいらないから、ただ命だけはみんな助かるような行動をして頂きたい。
2度と私たちのような悲しいことにならないように皆さんに気を付けて頂きたい、っていう願いがあります。だから皆さんこれからも気を付けてください。
豪雨で亡くした孫娘の言葉を蒔絵で繋ぐ
葬儀から5日、誠志さんは地震後に移り住んだ家で、黙々と蒔絵の作業に向き合っていた。
祖父・誠志さん:
地震など色々ありまして、作業をする種類はできる仕事ってのは限られてますけれど。ここではこういったわりと手の込まないような絵付けをしている。
妻の悦子さんと共に、輪島朝市に店を構えていた誠志さん。
店は地震で倒壊し焼失するも、残された道具で蒔絵作業を再開していた。
祖父・誠志さん:
8月終わりごろですかね。うちの孫(翼音)がここに来てた時、ここで仕事してた時「フクロウが可愛いから売れる」って言ったんですよね。「だからフクロウいっぱい作った方がいいよ、じいちゃん」って言った。その言葉は今でも覚えてますけどねハッキリと。
それまでフクロウは描いてなかったんです。
翼音の為にも頑張っていかないといけないな…っていう思いでやってます。
翼音さんと共に店先に立つ家族たち
10月19日、金城大学で始まった学園祭。
誠志さんの店先には、翼音さんお気に入りのフクロウのカップが並べられた。
店番に立つのは父・鷹也さんと祖母の悦子さん。祖父の誠志さんも、別の会場で翼音さんと共に店頭に立つ。
フクロウのカップの購入者:
フクロウと雪月花のカップを買いました。ちょっとでも力になれたらって言ったらおこがましいですけど、少しできることがあればという思いもあって…乗り越えてまた頑張って頂きたい
フクロウのカップの購入者:
とっても可愛くて心がこもってるデザイン。翼音さんの思いがこもってるなと思いました。
父・鷹也さん:
(祖父・誠志さんのカップを売る経験は)全くありませんでした。翼音がいれば僕がやることは無かったんですけど、少しでも(翼音の)代わりになれればと思って頑張ろうと思いました。「家族みんなで頑張ってるよ」って翼音に言いたい。
同じ日、石川県産業展示館では祖父、誠志さんも、翼音さんと店先に立っていた。
祖父・誠志さん:
翼音と一緒に頑張ってるんだよってことで、常に胸の中にはずっと生きてると思ってますので
そういう思いでやらせてもらってる。翼音の思い出がね、ぎっしりと詰まった図柄、フクロウなんで、これはずっと私が元気なうちは描き続けていきます。
(石川テレビ)