全国で唯一の特定危険指定暴力団、福岡・北九州市の「工藤会」。トップとして君臨した野村悟被告(77)とナンバー2の田上不美夫被告(68)の2人が逮捕された、いわゆる「頂上作戦」から2024年9月で10年となる。暴力団追放運動の先頭に立っていた前の北九州市長が退任後、初めてテレビ取材に応じ、これまで明かさなかった思いを語った。
「工藤会」と対峙した前北九州市長
福岡県警が、工藤会の最高幹部の逮捕に踏み切った背景にあったのが、相次ぐ襲撃事件だった。当時、北九州市では一般市民を標的にした銃撃事件などが続発した。
この記事の画像(14枚)そんな「暴力」の追放に向けて、市民の先頭に立ち続けた人物がいる。前北九州市長の北橋健治さん(71)だ。2023年2月まで4期16年に渡って市政のかじ取り役を担っていた。この日、訪れたのは市長時代、身の安全のために一軒家の自宅を離れて、夫人と暮らしていたマンションだ。
「暴力団追放運動をするにあたっては、セキュリティ上どうしても不安があるので、マンションに移り住んだ経緯があります」と当時を振り返る。対峙していたのは、全国で唯一の特定危険指定暴力団。寝るときも常に「命の危険」を意識していたという。
「旅行カバンに本を入れるんですよ。分厚い本なら50冊くらい入りますから。寝るときはそれを枕元に立てて盾にする。そうすると銃弾をある程度かわせるんじゃないかという…。枕元でそんなこともやっとったな」。いまでこそ普通に話すが、当時は真剣だったと北橋さんは語る。
企業誘致の大きな足かせに
当時、目立ったのは「企業を標的にした事件」だ。トヨタ自動車九州小倉工場に手りゅう弾が投げ込まれるなど、2004年から2009年までの5年間で工藤会の犯行とみられる襲撃事件は40件近くにのぼる。これが、都市の成長戦略に欠かせない「企業誘致」の大きな妨げとなっていた。
「一生懸命、職員の皆さんと企業誘致に全力を傾注していくその矢先に『長野会館事件』が起こったわけです」と北橋さんが苦々しく振り返る事件。2010年3月、工藤会は長野会館と名付けた組事務所を突然、設置。組事務所のすぐ傍には幼稚園、さらには小学校があった。
住民たちの暴力団追放の機運が高まる中、再び事件が起きる。工藤会は事務所撤去運動に参加していた自治会長宅に6発の銃弾を打ち込んだのだ。北橋さんは当時、企業誘致のために東京に出張中だった。
「朝起きると、小倉で銃弾が撃ち込まれた事件が、東京で何度も何度も繰り返し、テレビ局が報道しているわけです」。その日の午前中、北橋さんは大企業2社の社長に直接プレゼンをすることになっていたのだ。
「資料には『北九州は安全な都市です』と書いてある。企業投資に実にいい場所ですと…。もう言葉が詰まってしまいまして…、おそらく少し泣いたかもしれませんね。『どうやって企業誘致をすればいいんだ』と…、もう絶句して、もう本当に…」と北橋さんは遠くを見つめた。
前市町 いま明かす家族への思い
それでも街の未来のため暴力団との対決姿勢を緩めなかった北橋さんだが、さらなる試練が続く。差出人不明の「脅迫状」が届いたのだ。「文面を見たときは正直、驚きました」。そこには『家族に対して危害を加えるぞ』と書かれていた。
北橋さんが在任中に記していた「日記」に並んでいたのは、常に家族のことを気遣う言葉だった。
『プライベートな外出は極端に減ったが、ときどき近くにおいしい焼肉屋がありますので行ったことがあります。焼肉っていいですよね。ジュージュー焼きながらね。黙々と食べるんですけど。自分が焼いてあげて、サンチュに巻いてね、キムチ巻くともっとおいしいよって。それが家族へのささやかな感謝の気持ちです』
そして、2014年9月11日―。
長い長い道のりだったが…
福岡県警は、工藤会トップの野村悟被告とナンバー2の田上不美夫被告を逮捕。福岡高裁は、それぞれに無期懲役の判決を言い渡している。北九州市の負の遺産とまで言われた工藤会本部事務所は解体。市民が立ち上がり撤去に成功した長野会館は、デイサービスの施設に生まれ変わっている。
頂上作戦から10年。いま、北橋さんは街の大きな変化を感じている。7月に竣工した総事業費60億円、地上13階建てのオフィスビル。複数のIT企業の入居が決まっている。「治安が良くなれば、必ず投資は間違いなく増えていく街だと確信しています。長い道のりだったけど、あそこで挫けず良かったなと。大きな浮上のチャンスを掴んだと思います」と北橋さんは前を向く。
そして最後に「警察、事業者、市民の方々のお力添えには深く感謝しますが、個人的にはよくぞ家内も頑張ってくれたと思います」と家族への思いをいまも忘れていない。
頂上作戦から10年。北九州市の未来のため企業を呼び込もうと奮闘した人々の努力が、いま着実に実を結び始めている。
(テレビ西日本)