1975年の開業以来、多くの鹿児島県民に親しまれた鹿児島市のイオン鹿児島鴨池店が2024年8月31日に閉店した。涙で閉店を見届ける人、ねぎらいの声をかける人。客や従業員それぞれが数々の思い出を胸に、「最後の日」を迎えていた。
施設の老朽化で“鴨ダイ”閉店
イオン鹿児島鴨池店は、鹿児島市鴨池2丁目、鹿児島市電・郡元電停前にある。

かつてここには鴨池動物園があったが南部の平川町に移転し、1975年、「ダイエー鹿児島ショッパーズプラザ」がオープンした。オープン当日は雨にもかかわらず、来店者数は延べ8万人と大変な混雑ぶりだった。以来、“鴨池ダイエー”として親しまれ、正月の初商いでは、人、人、人のおおにぎわいだった。

鹿児島のシンクタンク、九州経済研究所・経済調査部の福留一郎部長は、ダイエー(当時)のオープンは「鹿児島経済にメガトン級のインパクトを与えた」出来事だったと分析する。ダイエーは安値で勝負を打ち出したうえに、品ぞろえも豊富だったため、1店舗できただけで一気に客が流れていったのだ。県外資本による大型商業施設の誕生は、県内に流通競争をもたらしたと言われている。

2015年にイオン九州へと営業権が移り、店名が「イオン鹿児島鴨池店」に変わった。ダイエー時代から数えるとその歴史は約半世紀になる。施設の老朽化が閉店の主な理由だ。
多くの人たちの思い出が詰まったイオン
閉店が迫る8月下旬に店を訪ねた。

中に入るとまず目につく円形広場と3階までの吹き抜け。店のシンボルだ。

売り場に進むと、店頭では売り尽くしの文字が並び、商品も少なくなっていた。一方、店の通路スペースに立てられたメッセージボードには、閉店を惜しむ来店客から多くのメッセージが寄せられていた。

県民にとって、ここはどんな場所だったのだろうか。来店客に話を聞いてみると、「家族とみんなで来てアイスクリームを食べた。(閉店は)ちょっと涙が出そう」、「地元の友達と遊ぶとなったら、やっぱ『鴨ダイ行こうぜ』となる」など、この店がかけがえのない場所だったことがわかる。
ある男性は、この場所で妻と出会って結婚したと教えてくれた。最後だから来てみたというこの男性は、「奥に着物屋があってそこにいた。思い出ですね」と寂しそうに語った。

鴨池のダイエー、イオンの名物店といえば、1階広場に面するクレープ店・ディッパーダンだ。ディッパーダンは全国チェーンの店で、1997年からこの場所で甘い香りを放ち続けてきた。店長の福元詩織さんは子どもの頃、ここでクレープを食べたそうだが、まさか自分が店長になるとは思っていなかったそうだ。

「懐かしんで来てくれるお客さんがとても多くて、最後と思って一つ一つ丁寧にできたら」そう語る福元さんの瞳は潤んでいた。
涙流す人も…49年の長い歴史に幕
2024年1月末に閉店が発表されてから7カ月。8月31日、ついに最終営業日を迎えた。

午後2時半、駐車場の入り口には車の長い列ができ、食料品売り場や洋服店、飲食店、どのエリアも多くの人でにぎわっていた。クレープ屋「ディッパーダン」にもひときわ長い行列が。
この日、2万人の来店客が訪れたという。やがて日は傾き、最後の買い物を終えた客が次々に店をあとにしていく。

そして時刻は午後7時。閉店の時間が迫る中、約1000人が最後の瞬間を見届けようと店頭にあつまり、近くの歩道橋まで大勢の人で埋まった。

イオン鹿児島鴨池店の中村武店長が「閉店を惜しむ声など実に3000の心温まるメッセージをいただいた。今まで本当にありがとうございました」と挨拶すると、方々から「ありがとう」「ご苦労さま」の声がかけられた。

最後の瞬間を見届けた人は、「自分もここで3年間働いていたので、思い出がいっぱいある」「自分の人生のいろんな節目にダイエーがあったので、ここに来ることがないんだなと思うと、すごく寂しくて。ありがとうございましたという気持ちでいっぱい」と涙ながらに語った。

鹿児島県民に根付き、愛され、当たり前の存在となっていた鴨池のダイエー、イオン。それぞれにたくさんの思い出を残し、49年の長い歴史が終わりを迎えた。
イオン鹿児島鴨池店の跡地は、イオングループとして商業施設も含めた再開発を進めるということだ。鹿児島の流通を劇的に変えたと言っても過言ではないこの場所がどのように生まれ変わるのか、注目される。
(鹿児島テレビ)