スクープできなかったメディア&させなかった政府の舞台裏
報道各社が血眼になって狙った新元号のスクープ。しかし政府の情報の守りは堅固で、どの社もスクープすることなく新元号「令和」が発表された。
かつて「大正」への改元をスクープしたのは、大阪朝日新聞の号外だった。そして、大正から昭和への改元で起きたのは、世紀の大誤報といわれる「光文事件」。東京日日新聞(現在の毎日新聞)が最初に号外で新元号を「光文」と報じたが、実際の新元号が「昭和」だったいう誤報だった。事前にスクープすることの是非について様々意見があることも承知しているが、それでも私たちメディアは新元号公表に向かって昼夜を問わず取材を重ねていた。今回はいかにして「令和」が選ばれたのかの裏側を、元号の選定に関わっていた政府関係者と私たち記者の会話から紐解いてみたい。
原案の絞り込みは2か月前?当時記者と政府関係者が交わしていた言葉
思い返せば、首相官邸幹部への取材の場で、元号に関する話題が頻発し始めたのは2月初旬だった。政府高官は元号発表後に「2か月前から元号案の絞り込みを始めた」と明かしたが、いみじくもその時期に符合する。
政府は2月8日に初めて「元号選定手続検討会議」を内々に実施し、今回の改元にあたっては「平成改元時の手続きを踏襲する」とした決定内容を事後に明かした。しかし、その後の取材で、官邸幹部は「平成時を踏襲すると言っても、元号案の数や有識者の人数は全く同じとは限らない」と語った。そのため報道各社はまず元号決定のプロセスについて取材することになった。
ただ、各社最大の目標は無論、元号そのもののスクープを取る=業界風に述べると元号を「抜く」ことだ。しかしある政権幹部は、前のめりになる記者をけん制するように、次のように語った。
「元号を抜かれたら変える。これはあなた達(報道各社)との戦いなんだ」
選定のポイントになるものは何?僅かなヒント
一方、ある政府関係者は、記者からの質問が重ねられる中でこのように語った。
「元号っていうのは、子供も書けるようにしないといけませんから。あとはパッと見たイメージも重要ですよね」
「いろんな読み方があったら困る」
「『平』や『和』などは見て雰囲気が分かる」
実は政府が公に定めている元号選定の基準には「書きやすいこと」「読みやすいこと」など6項目が挙げられているが、抽象的な部分もあり今ひとつ掴みにくい。そうした中で政府関係者が語った「パッと見たイメージ」「読み方が1つ」「分かりやすい雰囲気」というヒントともいえる言葉。選定のポイントは意外と「直観的なもの」なのかもしれない、と感じた瞬間だった。
新元号が「令和」に決まった今、考えてみると確かに「れいわ」以外の読み方は困難なうえ、「和」という文字も含まれており、イメージの点でも納得がいく。
一方、元号選定の6条件の中には「俗用されていない」つまり社会で一般的に使用されていないというものがある。「平成」が決まった際、岐阜県に「平成(へなり)」という地名が存在することが元号発表直後に判明し、話題となったが、地名、企業名、人名などとの重複をどこまで厳密に避けるのかは気になるところだった。
これについて政府関係者は、平成選定の時にはなかったインターネットなども駆使し、新元号案の2文字がすでに使用されていないか入念に調べるとしていた。しかし「完璧な元号なんてない。なので『一番減点の少ない元号』にすることになるだろう」と語り、その限界も示していた。今回も、「令和」と同じ名前の人物が話題になっているが、政府としてもそれは覚悟の上での判断だったわけだ。
ある日の言葉を境に・・・政府関係者は口をつぐむようになる
3月に差し掛かると、安倍首相が天皇陛下や皇太子さまに報告するタイミングなどが一部社により事前報道され、政府は情報管理をめぐり一層ピリピリすることとなった。それまで私たち報道陣に対して政府の考え方などを解説してくれた関係者らも、「元号の『げ』と言ったら黙る」「元号を抜かれたら切腹ものだ」と態度を硬化させ、一斉に口をつぐむようになった。
とりわけ、新元号案について意見を聞く有識者のメンバーを一部の社が事前に報じたことは、有識者への取材が殺到するなど迷惑をかけないよう保秘を徹底するつもりだった政府にとって誤算だったのだろう。政府関係者はよりナーバスになった。
徐々にピリピリと・・・情報漏洩にどう対抗したのか
私たちが、新元号の情報をどのように事前に得るかと考えた時に、新元号の選定に中心的に関わり秘密保持を徹底している政府の中枢から情報を得るのは至難の業だった。となると、官邸などで元号案について意見を聞かれる有識者や衆参正副議長、閣僚への接触を試みるのは当然の手段だ。
では政府はそうしたルートからの情報漏洩の恐れにどう対抗するのか?そう聞くと政府関係者は新元号が漏れないように有識者らから携帯電話を預かることを明かした。さらに電波を遮断するロッカーも存在することを明かし、情報管理に余念がないこと、つまり元号を抜こうとしても無駄だということを我々に示唆し続けた。
しかし携帯電話を預かることについては、閣僚や有識者はともかく、国会の議長に強制するのはハードルが高かった。さらに私たちが時計型で携帯電話機能を持つスマートウォッチの存在などを指摘すると、政府関係者も最後には「そこは信頼関係の問題だ」と、通信手段の持ち込み防止策には限界があることを示唆した。そこで政府が行ったのが物理的に外部との通信を遮断する電波妨害だ。
実は、人影少ない3月23日土曜日の首相官邸で、密かにある工事が敢行されていたことをFNNのカメラは独自に捉えていた。この日、朝から官邸の裏門を慌ただしく出入りしていたのは工事業者とみられる人たちだった。この日に外部との通信を遮断する「ジャミング」と呼ばれる何らかの工事が行われたとみられている。
実際に新元号発表当日の4月1日。官邸内にいた関係者は「廊下にでると電波がつながらない」とこぼしたのだった。臨時閣議を取材した記者の携帯も、下記の画像の通り「圏外(No Service)」となった。
週明けに新元号発表日を日開けた最後の金曜日。官邸の動きは慌ただしくなった
そしていよいよ4月1日の発表日が近づいてきた3月最終週、首相官邸の準備は大詰めを迎えていた。
大きな異変は28日(木)の夜に起きた。午後7時すぎからおよそ1時間半、官邸の記者会見場では、10人に満たない限られた人数でリハーサルが行われていた。会見場内に設置してある各社の遠隔操作可能なカメラは段ボールなどで遮られ、その様子を垣間見ることはできなかった。
そして発表前最後の平日となった翌29日金曜日。元号選定の関係者の一人はいつも出席する会議を突如欠席するなど、準備が最終段階を迎えている気配が感じられた。その夜、別の官邸幹部は、帰宅を待っていた記者に緊張しつつも、我々の質問にこれまでにないくらい丁寧に答えてくれ、この時までに準備がほぼ完了したことを感じさせた。
実際この日、FNNのカメラは、発表に際して「令和」の2文字を揮毫した内閣府の辞令専門官、茂住修身氏が首相官邸を訪れ、出てくる姿をとらえていた。官邸内で、揮毫のリハーサルを行ったであろうことを確信する重要な場面だった。
新元号「令和」発表後 元号選定に携わった政府関係者が私たちに見せた素顔
こうして迎えた4月1日午前11時40分すぎ、菅官房長官によってついに、新元号が「令和」と決まったことが発表された。各社の新元号スクープ戦は、どこの社も抜くことのないまま幕を閉じた。その後我々の前に姿を現した政府関係者は笑顔でこう語った。
「お疲れ様でした。ご迷惑をおかけしました」
この“ご迷惑”という言葉には私たちの問いかけに何も答えられなかった申し訳ない気持ちがにじんでいた。
そして政策に関する取材などでは政府関係者と記者の議論が成立するのに対して、新元号の選定については「議論することができなかったことが苦しかった」と胸の内を明かしてくれたのだった。
「令和元年」がスタートする5月1日午前0時まであと1か月を切った。新しい時代をどう迎え、その先どのような未来が作られていくのか?「令和時代」のスタートとその先の歩みを引き続き取材していきたい。
(政治部 元号取材チーム)