パリオリンピックのカヌースラローム準決勝で、羽根田卓也選手は13位となり、決勝進出を逃しました。5度目の五輪が終わり「後悔はない」と話す羽根田選手ですが、「マイナー競技でも選手の思いを知ってほしい」という思いでカヌーを続けてきました。
愛知県豊田市出身の羽根田選手は、カヌー選手だった父親と兄の影響で、小学生の時にカヌーを始めました。

とにかく練習熱心で、中学時代から頭角を現すと、高校時代にはすでにシニアの世界選手権に出場するほどになりました。
初めて挑んだ北京オリンピックでは14位、ロンドンオリンピックでは7位、そしてリオオリンピックでは銅メダルを獲得します。メダル獲得後は、多くのイベントやメディアに出演しますが、嫌な顔一つしない“神対応”でした。

羽根田卓也選手(2017年):
今はカヌー(競技者)の中だったら僕しかできないことなので、これは僕がやらなければいけないと思って、使命感というかそういうのもあって。カヌー競技を全部含めてたくさんの人にもっともっと見てもらいたいというのが一番ですね。

その思いの原点を語ってくれていました。
羽根田卓也選手(2020年):
「カヌー選手です」「スポーツ選手です」って誰かに言うのがすごく嫌で、言った瞬間に「それ何して食べているの?」「そんなことして将来どうするの?」みたいなことを言われたこともあるし。それがすごく辛くて、悔しくて、悲しかったので。
羽根田選手がずっと願ってきたのは、「マイナーでも、競技の素晴らしさやオリンピックにかける選手の思いを知ってほしい」という思いです。
羽根田卓也選手:
オリンピックに2回出ても、入賞じゃ誰も認めてくれないし、「ただの道楽」と言われたこともあるし。マイナー競技は人に認めてもらえないのが普通の環境だったので。始めたスポーツが違うだけで、努力も才能も劣っていないわけで。日の目を見なかったりだとか、報われなかったスポーツ選手って本当にごまんといるから。そういう人たちの思いとか、オリンピックを見た時により伝えられるものがあるんじゃないかなと。

5度目の舞台となったパリオリンピック。準決勝では、激流に対し攻めの漕ぎを見せますが、2度ポールに体が接触して全体で13位となり、あと一歩決勝の舞台に届きませんでした。
羽根田卓也選手:
1つの順位で惜しくも決勝を逃してしまったんですけども、自分の持っているものを全て出しました。東京(五輪が)終わってから3年間、このパリに向けて全てを注いで全てをぶつけてきたので、その気持ちに全く悔いはない
会場には、多くの日の丸が、多くの人が応援に駆けつけていました。
羽根田卓也選手:
今日も現地でたくさんの友人だとか、いろんな方々が応援に来ていただいているのを知っているので、彼らの応援の中で漕げたことが本当にありがたく思います。こうやってカヌー競技を実際に見てもらって、魅力もスポーツの素晴らしさも伝えることができたんじゃないかと思います
今後について聞かれると、「今後はしっかりこの気持ちに整理をつけて、少し考えていきたいなと思います」と話しました。
(東海テレビ)