オリンピックは政治と経済に取り込まれ過ぎ

どこか寂しい夏である。
新型コロナウイルスの感染拡大がなければ、9日夜は東京オリンピックの閉会式が開かれていた。
夜空を打ち上げ花火が彩り、国立競技場のフィールドでは各国の選手たちが入り乱れて笑顔があふれているはずだった。
1年後、東京オリンピック・・パラリンピックは開催できるのか。
まずは、その開催意義を考えてみたらどうだろう。

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オリンピックはもはや、政治と経済に取り込まれ過ぎている。
大会の1年延期に至る経緯では、安倍晋三首相が前面に出過ぎていた。
スポーツ界の存在感は薄かった。
国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長も、延期に伴う費用負担を避けたいためだろう、政治的な駆け引きに終始したように映る。

こういう光景を見せられると、誰だってイヤになる。
加えて、新型コロナウイルスの不安も増大するばかりだ。
僕もメンバーとなっている早稲田大学スポーツビジネス研究所が3度(①6月12日~18日、②6月26日~7月2日、③7月10日~16日)実施したインターネット調査(5段階評定)によると、

「通常開催(観客がいる状態での開催)」に肯定的な回答は

①25.0%
②21.9%
③18.4%
だった。

否定的な回答が
①45.1%
②47.9%
③52.7%

肯定的な回答は、「賛成」と「どちらかといえば賛成」を合わせたもので、最後の③7月10日~16日の「賛成」はわずか6.4%だった。

正直、なぜ、こうも否定的な回答が多いのだろうと驚く。
1988年のソウルオリンピック以降、僕はすべての夏季オリンピックを現地で取材してきた。
いろんな競技で、世界各国のアスリートが技と力を競い合う。
その姿に何度も胸を打たれてきた。オリンピックが特別な大会だと感じるのは、なんといっても閉会式。

世界中の多種多様なアスリートがフィールドで交り合いながら歩き、交流する。
2008年の北京オリンピックでは、着ぐるみを着た5つのマスコットたちと一緒に多くのアスリートが踊っていた。
その笑顔の記憶が鮮明に残る。
閉会式の光景をみると、「世界の平和と友好」を実感する。

もちろん、世の中が平穏でなければオリンピック実施は難しい。誤解を恐れずに言えば、僕は困難を乗り越えて何とか東京オリンピック・パラリンピックを1年後に実施してほしいと願っている。
ただし、3つの条件付きではあるけれど。

実現への3つの条件―新型コロナの収束、簡素化、開催意義の共有

1つ目は「新型コロナウイルスの収束」である。
ワクチンの開発、つまりはアスリートの安全・安心の確保である。

2つ目が「大会の簡素化」。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会は既に「2021年開催に向けた方針」として、次の3点を打ち出している。

①選手、観客、関係者、ボランティア、大会スタッフにとって安全・安心な環境をすることを最優先課題とする。
②延期に伴う費用を最小化し、都民・国民から理解と共感を得られるものにする。
③安全かつ持続可能な大会とするため、大会を簡素(シンプル)なものとする。

常識で考えれば、IOCも東京オリンピック・パラリンピック組織委員会も、中止を含め、水面下ではいくつかのシナリオを検討していることだろう。
大会を実施するためなら、開閉会式の簡素化、無観客、聖火リレーの縮小などもあっていい。
閉会式では華美なアトラクションは止め、各国のアスリートが感染予防を施してバラバラに入場するだけでいいのではないか。

3つ目は「東京オリンピック・パラリンピックの開催意義を都民や国民が理解すること」である。
開催意義は、「コロナに打ち勝つ」ではない。
ましてや、「経済効果のため」でもない。
オリンピックはひと言でいえば、「平和の祭典」である。
オリンピック運動とは、世界の平和建設に寄与することである。
きれいごとかもしれないが、「平和と友好」、これが開催意義だろう。
オリンピックは過去、数々の困難を乗り越えて、そのバリュー(価値)を高めてきた。
過去、夏は3度、冬には2度、合わせて5度、戦争のため、中止となっている。
中止となったことで、より「平和の祭典」の意義が確認されたのではないか。

いまこそ、アスリートの声を

7月下旬の全国紙のオンラインフォーラムでバレーボール男子日本代表の柳田将洋主将は言った。
「僕は東京オリンピックで結果を出したいと、7年前からずっと思ってきました。だから、どういう状況でも対応したい。たとえ無観客になったとしても。それでも、僕にとってのオリンピックの価値は変わりません」

オリンピック・パラリンピックの主役はやはり、アスリートだろう。
だから、アスリートにもっと、オリンピック・パラリンピックの価値や意義を発信してほしい。
都民や国民が開催の意義や理念を見いだせないのなら、大会中止もいたしかたなかろう。

きょう9日は、僕の故郷の長崎に原爆が投下されて75年となる。
犠牲者を悼み、平和を願う。そして、聞きたい。
なぜ、オリンピック・パラリンピックを日本で開くのですか。

(スポーツジャーナリスト・松瀬学)

松瀬 学
松瀬 学

スポーツジャーナリスト。早稲田大学ラグビー部OB、元共同通信社記者。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長。現在は日本体育大学のスポーツマネジメント学部の准教授をしながら、記者活動も展開。夏季オリンピックは88年ソウル大会を皮切りに、16年リオ大会まで全大会現場取材を継続中。