岐阜県岐阜市の陸上自衛隊・日野基本射撃場で2023年6月、当時18歳の隊員が自動小銃を乱射し、3人が死傷した事件から、14日でちょうど1年が経った。
陸自が示した「再発防止策」の精度には限界がみられ、不安を拭い去ることはできないが、今回の事件と40年前に同様の事件が起きた山口県山口市の周辺住民から聞こえてきたのは、それを上回る「自衛隊への信頼」の声だった。
■3人死傷の事件から1年…再発防止策の「限界」
岐阜市の陸上自衛隊・日野基本射撃場では2023年6月14日、隊員だった当時18歳の男が、射撃訓練中に自動小銃を発砲し、訓練に立ち会っていた隊員2人が死亡、1人が重傷を負った。
この記事の画像(16枚)事件から1年経った14日、射撃場には亡くなった2人の同僚だった元自衛官らが訪れ、花を手向けて手を合わせていた。
亡くなった2人の同僚だった男性:
自衛隊に関わった人は嫌いな人は1人もいないんじゃないかというくらい2人とも優しい方だったので、長い間2人とも勤務お疲れさまでしたって。こういうことが二度とおこらないでほしい。
陸上自衛隊守山駐屯地では午後3時から追悼式が開かれ、遺族や自衛隊の幹部らが参列した。
発砲した男は、事件の2カ月前に入隊したばかりの自衛官候補生だった。
射撃場で起きたことは、陸自が公表した報告書などで明らかになっている。
男は自動小銃を手に、射撃位置手前の「準備線」に整列。受け取った弾薬を勝手に装填し、まず1人に発砲した。
さらに、後方にいた「弾薬係」の隊員2人に向け、立て続けに発砲。
報告書では「当時の体制は適切」で「仲間に発砲するとは想定していなかった」と振り返っている。
事件を受けて陸自は、新人隊員の訓練を対象にした再発防止策をまとめた。
弾薬を受け取るタイミングを見直し、「射撃の直前」に銃は置き、同時に持つ時間を限定する“物理的な対策”を掲げた。
「心構えなどの教育の徹底」といった対策も、改めて全部隊に通達したとしているが、再発を「完全に防ぐ」ことはできるのか。
実際、報告書の公表時の4月18日に開かれた陸自のトップ・森下泰臣陸幕長の会見でも、記者が指摘した。
記者:
特異な行動・特異な隊員による事案で、防ぎようがなかったという印象を受けるのですけれど。
森下泰臣幕僚長:
はい………そうですね……………。
我々としては、現行の規則に則って対応していたものの、今般事案が発生したと。そして今般再発防止策を各部隊に徹底を図ったところで、これをしっかりやっていくことに尽きる。
絞り出すような言葉が、この事件の異例さを物語っていた。
自衛隊での勤務経験がある専門家も、今以上の対策は「現実的ではない」と指摘する。
岐阜女子大学の矢野義昭 特別客員教授:
安全管理と実践的訓練というのは射撃に限らず、常に伴ってくるジレンマなんですけれども、安全管理を優先しなければならないのはもちろんなんですけど、示された練度といいますけれども、訓練の水準を維持し徐々に上げていくことになると、弾を連射しながら敵に接近をしていくとか、高度の戦闘禍の射撃訓練もやります。弾薬の管理を厳しくするとか、そういうことは聞いていますけど、現場の射場管理という点で言えば、これくらいがもう限界かなというふうに思います。
5月8日、新人隊員の射撃訓練がどう変化したのか、カメラでの取材を陸自第10師団に申し入れたが、19日後の5月27日に返ってきたのは「取材できない」という回答だった。
その後も「再発防止策」の“再現取材”を含め、交渉を続けたが6月13日、最終回答は「遺族感情等を配慮して、取材はお断りします」というものだった。
発砲した男の捜査は送検後、防衛省の組織である「警務隊」が担当。逮捕直後は「銃と弾薬を持ち出したかった」と供述したとしていたが、詳しい動機はいまだ明らかにされていない。
■不祥事で訓練再開は1度中止も根強い地域住民の「信頼」
現場となった日野基本射撃場は、1907年の開設当時は、まだ旧陸軍の管轄だった。陸自が使い始めたのは、1960年からだ。
元々は野ざらしで、山に向かって射撃訓練が行われていたが、周辺の宅地化が進んだことで、2015年には屋内射撃場へと生まれ変わった。
それから9年。無防備な住民のすぐそばで起きた事件。およそ5カ月後の11月6日には、住民への説明を経て射撃訓練が再開されたが、20代の男性隊員が中指を立てるなどした行為が問題視され、訓練は再び中止に。住民からも批判の声が上がっていた。
しかし、銃撃事件から1年を前に改めて周辺を取材したところ、住民が口にしたのは「否定的な言葉」ではなかった。
近所の女性:
自衛隊というと、国・日本を守っているのイメージがあるので。安心感はありましたけどね。
近所の男性:
自衛隊は自衛隊で頑張っとるからね。
この地域を「名誉会長」としてまとめる男性も…。
地域の名誉会長:
やむを得ないと思うけどね。どんだけ完璧にやっとっても、やっぱりそういう人も入ってくるでね。これからそういうことが2度と起きないようにしてもらうだけやね。
自衛隊という組織への「信頼」を感じた。
■「自衛隊というよりも“個人の問題”」…40年前に同様の事件が地域でも「厚い信頼」
かつて、同様の事件があった地域はほかにもある。山口市の陸上自衛隊・山口射撃場の周辺だ。
1984年2月、射撃訓練中の当時21歳だった隊員が、同僚に向けて発砲し、撃たれた4人のうち、1人が死亡した。岐阜の事件で逮捕された男も、この事件について言及したとされている。
発砲した隊員は、小銃を持ったまま自衛隊の車両で住宅地に逃走し、車を乗り捨てた末、およそ5時間後に身柄を確保されたという。
現地での取材で、当時のことを知る人に話を聞くことができた。
事件当時から現場近くに住む女性:
(隊員が)どこにおるってわからんじゃないですか。だけどおることはおったけど、犯人が家の中に来たら怖かったなっていう気持ち。
自宅から数十メートルの場所に、4人を撃った隊員が逃げてきたという。
地域を脅かし、大混乱となった事件だったが、近くに住む人たちからは自衛隊に対しては、肯定的な声が続いた。
事件当時から現場近くに住む女性:
自衛隊さんはようしてくださるから。災害の時はね。ありがたいと思っています。
現場近くに住む男性A:
私は別に、自衛隊を肯定的に捉えておるから。そんなにどうこうということはない。
現場近くに住む男性B:
全て問題がある訳では全くないです。自衛隊だからというよりも、その人に理由があるのだと個人的に思うので。
外国の侵略から国を守るという使命だけでなく、災害時の人命救助や復旧、さらには新型コロナのワクチン接種など、国民のために活躍してきた自衛隊。信頼があるからこそ、受け入れられているからこそ、安心・安全を脅かすことは、2度と許されない。そんな思いが、彼らの中にあるはずだ。
事件から1年を受け、陸上自衛隊第10師団長の酒井秀典陸将は「国家・国民の信頼を受けて、武器使用を許可されている組織として、絶対にあってはならないこと。事案を風化させないこと、尊い命が失われることがないよう、自衛官としてあるべき姿について更なる徹底を図る」とコメントを出した。
2024年6月14日放送
(東海テレビ)