8月2日、三重県高校野球夏季大会は準々決勝4試合が行われ、4強が決まった。

この準々決勝で惜しくも敗退してしまった三重県立・白山高校には、亡き母と祖父母への強い思いを抱いて試合に臨んでいた選手がいた。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で「甲子園」が無くなった高校球児たちは、“最後の夏”に何を目指し、何を思うのか。

球児たちのリアルに迫った。

「2020夏 これが、僕らの甲子園。」連載はこちらから

 

夢舞台の“甲子園”でどうしてもプレーしたいもう一つの理由

2018年夏、「日本一の下剋上」と注目を集めた三重県立・白山高校。

2007年から10年連続県大会初戦敗退だった創部59年目のチームは、ノーシードから快進撃を続け、甲子園初出場を決めた。

その軌跡を追った書籍が出版されるなど、甲子園ファンのみならず、当時多くの話題を集めた。

その白山高校の3年生で、副キャプテンの木村偲生(しゅい)選手。「日本一の下剋上」ではボールボーイとして甲子園の土を踏んでいた。

あれから2年。先輩たちの背中を追って目指す夢舞台の“甲子園”で、どうしてもプレーをしたい理由がもう一つあるという。

「寮に行くことになって親元を離れるので、親を大事にして甲子園で恩返しをしようと思って書きました」

そう話す木村選手の持つグローブには『親を甲子園に連れて行く』と、女手一つで育ててくれた母への思いを込めた刺繍が施されていた。

木村選手が野球を始めたのは小学1年生の時。きっかけは母・優香さんだ。

優香さんは野球漫画「タッチ」の影響で、子どもにも野球をやってほしいという願いから、木村選手をその道へと導いた。名前の偲生(しゅい)も首位打者の“首位”にちなんだ名前だ。

母からは「野球を全力でやることは、誰にも負けるな」と言われてきたという木村選手。

しかし木村選手が高校1年の5月、優香さんは病気のため40歳の若さでこの世を去った。

「『なんで死んだんや、なんでやの』って何回か言っていて…悲しいより悔しかったんじゃないのかなって」

最愛の母親を15歳で失った孫の当時の様子を振り返るのは、木村選手を支える祖父・静夫さんと祖母・美砂子さんだ。

二人は年金を学費に変え、寮で暮らして野球を続ける木村選手を応援している。

美砂子さんは優香さんから送られたという手紙を見せてくれた。

ばぁば、偲生が甲子園に行ったときはアルプスを
偲生の応援団でいっぱいにしようね。
いっしょに甲子園行こうね。

「両親が揃っている家庭の子より惨めな思いをさせたくない。『親がいなくても十分なことしてくれているじいちゃん、ばあちゃんがおるねん』と感じて、自分がいじけないように、それが最大限のね…。お金の多い少ないは別問題、みじめな思いだけはさせたくないんです」

そう話す祖父の静夫さんは妻とともに、優香さんと孫の夢だった甲子園を陰ながら全力で応援していた。
 

甲子園中止で思い出す「全力プレーは誰にも負けるな」

木村選手にとっての甲子園は、母、そしていつも支えてくれる祖父母への恩返しの舞台となるはずだったが、2020年5月20日、新型コロナウイルスの影響で、第102回全国高等学校野球選手権大会の中止が決定してしまった。

この瞬間、全国約3800校の高校球児たちの夢が奪われた。

「甲子園が無くなったと聞いた瞬間、自分の部屋に行って涙が出てしまって…。この3年間何の意味があったのだろうと思って…」

木村選手はこの決定に涙した。

応援をする祖母にとっても辛い決定だったという。

「試合も無くなって何もできないのは辛いやろなって思って…。あの子の顔もちらっと見たけど、がっくりきてて何も言えなかったね…」

甲子園の中止は、木村選手にとって「母と祖父母への恩返し」の舞台が無くなったことでもあった。

しかしその1週間後、三重県高校野球連盟が独自大会の開催を発表した。

チームが目指す場所は決まったが、恩返しの舞台を失った木村選手は試合に集中できない姿も見られ、監督に注意を受ける場面もあった。

しかし気持ちを切り替え、全力で練習に向き合う木村選手。

甲子園が無くなってしまったことについて、優香さんだったらなんと言うと思うか尋ねた。

「甲子園はなくなったけど、ずっと12年間野球をやってきたので、悔いのないように思い切り全力でやりきれと」

母に言われた「野球を全力でやることは、誰にも負けるな」という教えが、再び彼を突き動かした。
 

背番号は祖母の手で。全力プレーで恩返し

7月10日、白山高校の水たまりが残る雨上がりのグラウンドでは、大会前最後の練習が行われていた。この練習の後、最後の大会で付ける背番号が配られる。

全員で大声を出しながら、泥まみれになり、全力で白球を追いかける白山高校野球部。

グラウンドへのお礼で最後の練習が終わった。

木村選手が手渡された背番号は4番。

泥だらけのユニフォームで背番号を受け取った木村選手は、
「この3年間辛い思い出や楽しい思い出がたくさんありました。チームが勢いに乗っているのに自分だけ取り残されている気がし、全力でできませんでした。でも明後日から大会が始まるので誰よりも一番声だして、一番活躍できるように頑張りたいと思います」
と部員の前で決意を新たにした。

そしてその背番号を携え真っ先に向かったのは、祖父母が待つ自宅だった。

背番号をユニフォームに縫い付けてくれるのは祖母だ。

「小さいときからずっと野球が好きでそれで頑張ってきた。最後になるって思えばやっぱり感無量ですね。私らも偲生に夢を見させてもらいましたので」

「できました、さあこれで頑張ってもらうおう」

二人はしみじみと話し、そして力強く頷いた。

夢を与えてくれた母へ、そして夢を追いかけさせてくれる祖父母へ。恩返しの舞台となるはずだった甲子園は中止になった。

それでも最後は、母の教えを胸に戦う。

2020夏、木村偲生にとっての甲子園は「母から教わった全力プレーで恩返し」。

7月23日、迎えた高校野球三重独自大会、2回戦。木村選手は2番・セカンドで今大会初のスタメン出場を果たした。

甲子園出場経験のある強豪・久居農林高校に3-2と、1点差まで詰め寄られた8回。祖父が見守る中、チャンスで木村選手に打席が回る。

監督は「お母さん見てるんだから絶対に打ってこい」と声をかけたという。

天国の母と祖父母の前で、試合を決定づけるタイムリー3ベースに高々と右手が上がった。

目の前での活躍に祖父は「じじ孝行してくれた じじばばにいい孝行してくれました。草葉の陰で娘も喜んでいると思います」と満面の笑みだ。

打った木村選手は「なかなかお母さんの前では打てなかったのでなんとか絶対に打つと思って。お母さんとかおじいちゃんおばあちゃんにスリーベースが打てて良かったです。悔いの残らないようによしやりきったって思えるようにやりきりたいと思います」

全力で振り抜いた打球は母へ、応援してくれる祖父母へ恩返しの一打となった。

木村くんの将来の夢は消防士だ。

「母が亡くなって、大切な人って亡くなったら悔しい、悲しいねんなとおもって。僕はその悲しんでいる姿を見せたくないので、消防士になって、困っている人がいれば助けて、かっこいい消防士になりたい」

その“助ける”という行為にも母との約束があるという。

「偲生という名前は、漢字で“人偏”に“思って”“生きる”なので、人のことを思ってずっと生きろと言われた。困っている人がいたら助けて、そういう人間になっていけって言われたので」

そう話した木村選手。祖父母も同じ想いを伝えてきた。

「人の痛みが分かる人間になりなさいと。 自分がされて嫌なことは相手も嫌なんだから。痛みの分かる人間になりなさいと。ともかくどんな仕事でも私らとしてはこんな風に頑張れって言うよりも人の痛みが分かる生き方をしなさいと」

最後の夏の大会へ向けた練習中も、消防士になるための勉強や面接の練習に励んでいた木村選手。これからも母と祖父母への恩返しは続いていく。

(ディレクター:岡山克平(東海テレビ)、鷹取大地)

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フジテレビのスポーツニュース番組『S-PARK』(スパーク)は、8月2日(日)~30日(日)の5週に渡り 日曜S-PARK特別企画「2020夏 これが、僕らの甲子園。」を放送する。 
新型コロナウイルス感染拡大の影響で「春のセンバツ」と「夏の全国高校野球選手権」が中止になり、まさに夢を失ってしまった高校球児たち。
3年間、これまでの野球人生をかけて甲子園を目指してきた彼らは、「最後の夏」に何を目指し、何を思うのか…?

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