新型コロナが5類に移行し、多くの学校で4年ぶりの通常規模で開催された「卒業式」。中でも卒業生が歌う「卒業ソング」は、今でも心に深く刻まれている人が多いのではないだろうか。近年流行が取り入れられ、多様になっている思い出の卒業ソング。研究者は「感動」が近年のキーワードになっていると分析している。
児童が決めた卒業ソングは?
3月19日、仙台市宮城野区の小学校で開かれた卒業式。
この記事の画像(9枚)「看護師になるという夢を実現するために、初めての行事や活動に進んで取り組みます」「部活動では野球部に入部し、レギュラーを取れるよう精一杯努力します」
1人ずつ檀上に上がり、それぞれの決意を述べ卒業証書を受け取った児童たちが、今年みんなで歌う卒業ソングに選んだのは、「最後のチャイム」だ。
「初めて跳び箱が跳べた日」のことや、「あだ名で呼び合って笑いすぎた日」のことなど、具体的な情景が歌詞に盛り込まれ、児童からの人気も強いという。
学校によると、子供たちの音域などを考えて、今年は「最後のチャイム」と「旅立ちの日に」の2曲が卒業ソングの最終候補に。その中で、学年全体に投票してもらったところ、僅差で「最後のチャイム」に決まった。
10代はRADWIMPS!? 仙台市内で聞いてみた
定番もあれば、流行にも影響される卒業ソング。どんな曲が歌われてきたのか、仙台市内で話を聞いた。
【40代女性・森山直太朗/さくら】
「ちょうど学校の卒業の時にはやっていて、それで歌ったような気が」
【18歳男性・GReeeeN/キセキ】
「先生たちに内緒で練習して歌った。卒業した学校が1年間しかいなかったので、でもいろんな思い出があって、ぐっと」
【50代男性・ヘンデル/メサイア~ハレルヤ・コーラス】
「周りは田舎で、それこそ中学生がそういう大曲を全校生徒で歌うという行為が素晴らしい。それでなんか盛り上がってた」
世代によって違う中で、特に10代から多くの支持を集めていたのが人気バンド、RADWIMPSの「正解」だ。3月、仙台放送が取材した仙台市内の中学校の卒業式でも実際に歌われていた。
定番の「旅立ちの日に」「仰げば尊し」
また、10代から30代までよく歌われている曲もあった。それが「旅立ちの日に」だ。2000年ごろから全国の学校で歌われ始め、宮城県内でも定番の曲となっている。20代の男性は「中学の時はぼろ泣きしました。歌っているときに先生が泣いているのを見てもらい泣きしました」と、当時のことを振り返った。
一方、40代以上から多く寄せられたのは、日本を代表する卒業ソング、「仰げば尊し」だ。
小学校でこの歌を歌ったという、70代の女性は、「校舎への別れとか、進学先が違ったりして、そういう寂しい気持ちとかそういう詞も好きです」と話した。
変化する「卒業式」の意味合い 当初は「成果発表」!?
時代とともにさまざまな曲が歌われてきた卒業式。
「卒業式」に関する研究をしている立教大学の有本真紀教授は卒業式の中の「歌の役割」について「最初の頃の卒業式は成果発表の意味合いが強かったので、例えば卒業論文をスピーチするとか理科の実験を見せるなど、それまで習った近代教育の成果を発表することが目的だった。その中で、唱歌もこんな歌が歌えるようになりました、という意味合いで歌うようになった」と話す。
テレビドラマきっかけに 卒業ソングで「感動」を
有本教授によると、1880年代から全国的に卒業式で歌を歌う文化が定着。しかし、今とは違い「厳粛さを演出するためのもの」で「仰げば尊し」や「蛍の光」などが長く歌われてきたという。
その後1960年代になると、『楽しかった運動会』といった呼びかけのようなセリフを取り入れている学校が増え、その中で卒業式の歌も新しい歌が生まれてくるようになった。1980年代からは、テレビドラマで人気となった『贈る言葉』などをきっかけに、感動できる卒業ソングが増加。現在の多様な選曲のルーツになっているという。
有本教授は、「(当初は)私たちの共同体はこのように練習をしてきましたということを成果発表していたのですけれども、私たちが感動したいという気持ちが強くなっていったのでしょうね」と分析する。
「感動」とともに続けられてきた「卒業ソング」この機会に、あの時の気持ちに思いをはせてみてはいかがだろうか。
(仙台放送)