奥能登にある「ケロンの小さな村」は、子どもたちに人気のスポットだ。能登半島地震で大きな被害を受けながらも、4月の再開を目指して動き出している。明るく復旧に努める男性と、後を継ごうと男性を支える若者の姿に注目した。
今も当時のまま…崩れたシンボルや石窯
石川・能登町の山あいにある「ケロンの小さな村」は、自然の中で遊んだり、ピザ焼き体験をしたりと、子どもたちの五感を全て使って楽しむことができる人気スポットだ。

もともとは耕作放棄地だったこの場所を「子どもたちに自然の中でのびのびと遊んでほしい」との思いで、「ケロンの小さな村」の村長・上乗秀雄さん(79)が一から手作りし、2009年にオープンした。しかし、今のケロン村に子どもたちの姿はない。

石垣が崩れ通れなくなっている道。1月1日のままだというツリーハウスは、家具が倒れ本が散乱としていた。
最大震度6強を観測した能登町。ケロン村も大きな被害を受けた。

上乗秀雄さん:
1月1日はのんびりと年賀状を見ているときに、ドーンと地震が来た。おとそ気分もあったから車の運転もできなくて来られなかった。2日に来たときに最初に見たのは、水車小屋が傾いているの。あらー、やっぱり夢じゃなかったと。

ケロン村のシンボルだという水車小屋。ケロン村は、湧水を引いているため水が止まることはないが、小屋は土台が崩れて傾いてしまった。水車が回っていることが上乗さんの心の癒しだったという。

さらに、上乗さん手作りの石窯が土台以外、全て崩れた。ここで焼くパンがケロン村の名物だった。

上乗秀雄さん:
直径1メートルの円球のドームがあった。これが崩れた時はびっくりしましたね。まさかこんなことが(石窯を作ってから)15年後に起こるとは。
それでも、上乗さんは「15年目に新しい環境の中で再生させる」と語った。
村長の孫が跡継ぎに「頼もしい」
持ち前の明るさでこの2カ月、休まず復旧作業を続けてきた上乗さんを助けようと、この日、孫の古矢拓夢さん(24)がケロン村にやって来た。

古矢拓夢さん:
真ん中の方、全部崩れとるわ。触っただけで崩れるくらい。気を付けてね。

上乗秀雄さん:
これが第一歩やからね。頑張って作りましょう。
1人で作業していたときとは、やはりスピードが違う。これから先は長い。しかし上乗さんは「何よりもこうして跡継ぎが頑張ってくれるのがうれしい」とほほ笑んだ。

現在79歳の上乗さんが、“そろそろケロン村にも後継者を”と考えていたとき、拓夢さんが手を挙げた。

古矢拓夢さん:
都会で働いたりいろんな人と関わる中で、やっぱりこの町がこの能登が好きだと。学生の時から、うっすらここで僕がケロン村をやってみたいなという思いはあって。

拓夢さんは、子どもの頃から大好きだったケロン村の運営に2024年から加わろうと決めていた。

古矢拓夢さん:
1月4日にここに来たけど、そのときのここを見て、じいちゃんがどれくらい大変な思いをして作ったかを知っているので、心にくるものがあった。
今回の地震が拓夢さんの決意をより固くした。
2023年、福島へ震災被害があった場所を見に行った拓夢さんは、津波で何もなくなった町が、何年もかけて少しずつみんなが前を向き明るくなっていく姿を間近で見たという。

古矢拓夢さん:
自分も前を向き、ケロン村をもっともっといい場所にしようとすぐに思った
拓夢さんの決意に、カメラマンが「頼もしいお孫さんですね」と声をかけると、「うん!頼もしい!」と声を張った上乗さん。

上乗秀雄さん:
こんな頼もしい、いい孫がいてありがたい本当に。どんな形でケロン村を飛躍させてくれるのか、拓夢に任せて変わっていくケロンの姿を楽しみながら、後ろからサポートしていきます。
“長く楽しい夢”に歩み始める2人
新しいケロン村を作るため、二人三脚での復旧がスタートした。休憩中、上乗さんがケロン村誕生までのアルバムを見つけた。

上乗さん「これ拓夢じゃない?」
拓夢さん「ほんとや!」
拓夢さん「これは初のパンじゃない?」
上乗さん「石窯で焼いたパンや。真っ黒になってしまって。あははははっ、懐かしい懐かしい。これは拓夢や、道作りを2人でしたとき」

思い出のアルバムに夢中になる2人。拓夢さんが、「さあ これから長く楽しい夢を見よう!」と書いてあるページを見つけた。
ケロン村は上乗さんの長く楽しい夢。今度はその夢を2人で見続けるために、一歩ずつ、2人で前に進む。
(石川テレビ)