太平洋戦争中に建造され、長年、漁港の安全を守ってきた特殊な「船」が広島・呉市に現存する。戦後は“防波堤”として有効活用されてきたが、劣化によって一部が崩落。その歴史的価値は失われてしまうのだろうか。

第二の人生は漁港を守る“防波堤”

呉市音戸町のこじんまりとした漁港。そこに、少し変わった防波堤がある。先端は丸みを帯びていて、まるで「船」のような形をしている。

全長約10メートルの風変わりな防波堤は、戦時中に造られた「コンクリート船」だった。上空から見ると、船の全形がはっきりとわかる。かつての姿をとどめたまま、防波堤として現役の船たちを波風から守ってきた。

呉市音戸町の上空から見た防波堤
呉市音戸町の上空から見た防波堤
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ところが、2023年11月、甲板だった部分が突如大きく崩れ落ちてしまったのだ。

五十川裕明 記者:
近づくと、丸くなっている部分が船首だということがよくわかります。幅は大人1人がやっと通れる感じです。甲板だったと思われる真ん中の部分が大きく崩落しています。もし万が一、人が落ちていたらと思うとぞっとします

防波堤の前で半世紀以上、ガソリンスタンドを経営してきた人に話を聞いた。

吉村石油・吉村和美さん:
台風のとき、波が海沿いの民家を越えて来る。ここはコンクリート船の防波堤のおかげでそういう心配がない。防波堤が壊れた瞬間、音がバーンとしたものだから、あれ?何?と思ったら波しぶきが上がっていた

スポットが当たらなかった戦争遺構

戦後79年がたち、数年前からコンクリートの劣化や破損が目立つようになった。漁港を管理する広島県西部建設事務所・呉支所は今回、コンクリート船だった部分への立ち入り禁止を決めた。

それによって、防波堤に漁船を係留していたカキ生産者などは別の場所への避難を余儀なくされた。

海田水産・海田歳己さん:
新しい防波堤を造ってほしいですね。このままだと、船に乗ったり下りたりするのも潮の満ち引きの影響で難しい。歩くのが怖いです

コンクリート船は終戦間際に開発され、別の船に引っ張ってもらう曳航船(えいこうせん)として燃料を運んでいたとみられる。深刻な鉄鋼不足に陥っていた当時の状況が伺える貴重な「戦争遺構」でもある。

鉄鋼不足の状況下で開発された類似のコンクリート船
鉄鋼不足の状況下で開発された類似のコンクリート船

戦後、行き場がなかったところをまさに“渡りに舟”で地元の人たちが防波堤に有効活用。しかし、そんな経緯を知らない人が多くなり、歴史的価値になかなかスポットが当たらない状況が続いてきた。

「悲惨な戦争の記憶を伝えたい」

一方、音戸町の漁港から30kmほど東に離れた呉市安浦町にも戦時中のコンクリート船が2隻、防波堤として残っている。

呉市安浦町にもコンクリート船2隻が現存
呉市安浦町にもコンクリート船2隻が現存

安浦町まちづくり協議会・山田賢一 会長:
普通ならもっとボロボロになるはずなんだけど、そんなに劣化していない

船自体の原型は音戸町のそれに比べしっかりと残っているが、安全上の観点などから日頃は立ち入りが制限されている。

安浦町まちづくり協議会・山田賢一 会長:
コンクリートで船を造らないといけないほど、非常に悲惨な戦争をやった。戦争はいけないということをみんなに伝えていきたい

戦争の記憶を後世に伝える遺構でありながら、保護するためのルールもなく野ざらしのコンクリート船。音戸町の壊れた船を管理する県は、準備ができ次第、元に近いかたちで甲板部分を仮復旧したい考えだが、今後も防波堤として使い続けるかは決まっていない。

(テレビ新広島)

テレビ新広島
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