JR東京駅八重洲口から徒歩で5分ほどの場所にある「京橋」。この「京橋」という地名は、東海道の起点である日本橋から京都へ向かう時に、最初に渡る橋が架けられていたことに由来したものだ。銀座と日本橋に挟まれた場所でもあり、現在はオフィスビルが多く立ち並ぶことから、“ビジネスパーソンの街”と言った印象を持つ人も多いだろう。一方で、この街を歩いてみればわかると思うが、“別の顔”も持つ。
通称「骨董通り」と呼ばれている東仲通り周辺には、100を超える古美術商やギャラリーなどが軒を連ねていて、 この街ならではの落ち着いた“芸術の雰囲気”を形成している。

そんな伝統と文化が息づく京橋の街で、現在、「芸術・文化拠点の形成」を理念に掲げ、大規模な街区開発が進行している。
“京橋地区”の過去から現在まで
京橋の歴史は古い。遡れば江戸時代、京橋には東海道が通っており、多くの商人や職人により活気があふれた街だった。「鍛冶町」「大鋸町」「桶町」などの旧町名には、その名残が残っていた。
明治・大正時代になると、京橋は日本橋と銀座を結ぶ、商店街の役割を果たし発展していく。時は進み1959年、地名の由来にもなっていた橋は、川の暗渠化によってなくなった。以後、東京駅や銀座、日本橋に近い京橋には多くの企業が進出し、オフィスビルが立ち並ぶビジネス街として、現在まで発展してきた。
一方で、「東海道五十三次」で知られる歌川広重など、江戸時代には多くの絵師が住み、大正時代には北大路魯山人が美術店「大雅堂藝術店」を開いたのもこの地だ。芸術をめぐる伝統はその後も受け継がれ、現在も通称「骨董通り」と呼ばれている東仲通り周辺には、100を超える古美術商・ギャラリーが軒を連ねている。

このように“ビジネスの街”という側面と“芸術 ・文化の街”という側面が融合することで、京橋ならではの雰囲気が醸し出されているのだ。
芸術・文化の拠点を形成する開発
この京橋の街で、「京橋彩区」と呼ばれる大規模な街区開発が行われている。

京橋彩区のホームページによると、この開発では、「まちに開かれた、芸術・文化拠点の形成」を理念に掲げ、誰もが気軽に、芸術・文化を体感できる機会を創出することや、若手芸術家の育成、情報発信の場の創出を目指しているという。
古美術商やギャラリーが集まるこの街に、誰もが気軽にアートに触れることが出来る、新たな芸術・文化の拠点を形成しようというものだ。

開発により建設されるのは、「ミュージアムタワー京橋」と「TODA BUILDING」の2つの芸術文化施設を擁した超高層オフィスビルと、中央通りに沿った間口120mの広場。
「ミュージアムタワー京橋」は、2019年7月に竣工し、約半年後の2020年1月に、その低層部に「アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)」がオープン。古代美術・日本近世美術・日本近代洋画・印象派・20世紀美術から現代美術までを楽しむことができる美術館となっている。

「TODA BUILDING」は、2019年12月から、これまで使用してきた旧社屋を解体し、2021年8月に新築着工。2024年9月に竣工が予定されていて、同年11月の開業をもって、京橋彩区のグランドオープンとされている。
「TODA BUILDING」の魅力
現在建設が進められている「TODA BUILDING」は、地下3階・地上28階建ての超高層複合用途ビル。8階から27階はオフィスフロアとなっているが、注目するのは低層部の1階から6階までの“芸術文化エリア”だ。

1階から2階の共用部分は、ビルの利用者だけでなく街を訪れる人々にも開放され、天井高さ約16mのエントランスロビーと、その吹き抜けを取り囲む“回廊”を展示空間とした、パブリックアートが鑑賞できる。

3階には、日本の現代アートシーンを代表する「タカ・イシイギャラリー」「小山登美夫ギャラリー」「KOSAKU KANECHIKA」「Yutaka Kikutake Gallery」 の4つのギャラリーが集結し、国内外の最先端のアートを鑑賞することが出来る。

そして6階では、「現代の表現者」をキーワードに、マンガ・アニメ・音楽・ゲームなどといった多彩なジャンルを取り扱う企画展型のミュージアムが出来る予定。
このように複数の芸術文化施設で構成され、まさに京橋の街の魅力を凝縮したかのような造りとなっている「TODA BUILDING」は、芸術・文化の発信拠点として、大人から子供まで多くの人が集まることを目指している。
プロジェクト担当者に聞く目指す“未来”とは?
最後に、戸田建設株式会社で「TODA BUILDING」の開発プロジェクトを担当する、京橋プロジェクト推進部・小林彩子部長に、開発により“目指す未来”を聞いた。

(Q.「TODA BUILDING」の構造的な特徴は)
京橋プロジェクト推進部 小林彩子部長:
新しい「TODA BUILDING」は、旧TODA BUILDINGの老朽化に伴う建て替えが発端で、隣接する旧ブリヂストンビルもちょうど建て替え時期を迎えていたので、共同して開発することになりました。大規模開発をするために、都市再生特別地区という都市計画制度を使い、街区全体で芸術文化の拠点を形成することを計画し、今に至ります。建物の大きな特徴は街に開かれた空間設計になっていることです。賑わいの創出や、街のブランディングを目指す中で、中央通りに面する間口の広い敷地を有効に生かして、緑の多い広場を生み出す計画としました。また建物と広場が一体的に使えるような造りとなっていて、通常オフィスビルの足下は、セキュリティを保つために閉鎖的になる傾向がありますが、あえてオープンにすることで、街との接続を意識しています。
(Q.そもそも、なぜ「アート」に注目することになったのか)
京橋プロジェクト推進部 小林彩子部長:
広場が開放的なだけではなく、様々な人がビルを訪れるきっかけとして、「アート」が有効になると考えました。そもそも京橋ってどういう街なんだろうと深掘りしていくと、古くから芸術・文化に寛容な街で、アートを発信することでもっと魅力的な街になっていく下地があることがわかりました。この街の価値向上やブランディングに貢献するためには、新しいビルの開発にアートを、特に現在進行形のクリエイティブを支援することで生まれる活性化が必要だと思います。

(Q. 「TODA BUILDING」の開発により目指す未来は)
京橋プロジェクト推進部 小林彩子部長:
新進アーティストの活動を支援すると言う観点で、創作の機会を提供することを考えています。さらにアーティストが評価されて次なるステージを得ていく、あるいは作品が売れてステップアップしていくことを考えて、1階のアートショップ&カフェや、3階のギャラリーなど販売の場も構えています。
また、4階にあるホール&カンファレンスや、6階のミュージアムは、情報発信の機能を担うなど、ビルの各所にアートが循環し活性化する役割を分散させています。
(Q.京橋の街を訪れる方々に一言)
京橋プロジェクト推進部 小林彩子部長:
今まではビジネスパーソンが中心で、あまり目立たないけれどアート好きの人がリピートしていた街だったのですが、よりわかりやすくアート関係者や、アートファンの方が増えていくと予想しています。またアートファンを増やすために、子供の頃からアートに触れる習慣を持っていくことが重要だと考えており、子供や若い人が来やすい街であり、ビルにしていきたいと思っています。