リニア中央新幹線のトンネル工事をめぐる南アルプスの生態系への影響について話し合う国の有識者会議は、報告書の取りまとめを座長に一任することを決め、事実上、議論は終結した。だが、静岡県は納得がいかないようだ。

国の有識者会議 議論の軸は3つの論点

南アルプスの生態系への影響を議論する国の有識者会議は今から1年5カ月前の2022年6月に始まった。元をたどれば静岡県とJR東海との議論がこう着したため、仲介に入った国土交通省の提案によって“中立的な立場”として設置されたという背景がある。

計14回に及んだ会議で主に議論されたのは以下の3つだ。

▼トンネル掘削に伴う地下水位変化による沢の水生生物等への影響と対策

▼トンネル掘削に伴う地下水位変化による高標高部の植生への影響と対策

▼地上部分の改変箇所における環境への影響と対策

当初の報告書案では「論点ごとに、影響の予測・分析・評価、保全措置、モニタリングのそれぞれの措置を的確に行い、それぞれの結果を各措置にフィードバックし、必要な見直しを行う、いわゆる『順応的管理』で対応することにより、トンネル掘削に伴う環境への影響を最小化することが適切」とした上で「管理流量等の範囲を逸脱するような事象が発生した場合は、早期にその兆候を掴み、躊躇なく工事の進め方を見直すことが必要」と提言した。

県が国交省に提出した意見書
県が国交省に提出した意見書
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だが、これに対し県が「工事着手前の生態系への影響予測をしていない現在の案では、JR東海が順応的管理を適切に実施できないことが懸念される」と猛反発。国の有識者会議の「JR東海の取り組みに対して具体的な助言・指導等を行うこと」という設置目的を持ち出し、県の考えが「十分に議論されないまま報告書が確定することになれば、当初の目的にそぐわない」との意見書を国土交通省に提出した。

JRの方針を追認する姿勢が色濃い内容に

こうした中、11月7日の会議では県の意見や委員の指摘を踏まえた、“新たな”報告書案が示された。

会議で示された”新たな”報告書案
会議で示された”新たな”報告書案

新たな報告書案では“トンネル掘削による南アルプスの環境への影響と対策”の総論として、生物の生息環境が物理的に変化した場合には時間差で個体数や種数などに影響が出る可能性があることに言及し、「まずは流量などの変化する可能性のある物理的環境に関してトンネル掘削前の状況を年変動も含めて把握するとともに、物理的影響を受けやすいと考えられる生物群の検討を行い、それらに基づいたモニタリングを行うことによって、迅速な保全措置の実施及びそのエリアの生態系全体に与える影響の最小化を目指すこととする」と、JR東海の責任を明文化し、更なる調査や検討の実施を促した。

国の有識者会議(11月7日)
国の有識者会議(11月7日)

一方で、具体的に議論した“トンネル掘削に伴う地下水位変化による沢の水生生物等への影響と対策”については、「高速長尺先進ボーリング等の結果や薬液注入の効果等のモニタリングの結果を各対策にフィードバックし、必要な見直しを行うとのJR東海の進め方は適切であると判断できる」と、当初の報告書案以上にJR東海の方針を追認。

また“トンネル掘削に伴う地下水位変化による高標高部の植生への影響と対策”については、当初の報告書案の時点で「トンネル掘削に伴う地下深部の地下水位変化によって、高標高部の植生には影響は及ばないと考えられる」と記載されていたが、「高標高部の湧水は深部の地下水との関連性は低いと考えられ、トンネル掘削により地下水位が低下しても、高標高部の湧水に影響が及ぶ可能性は低いと考えられる」との一文も付け加えられた。

その上で、「トンネル掘削の影響が高標高部の植生や池の水に及ぶ可能性はなく、高標高部の湧水に及ぶ可能性は低いと考えられるが、モニタリングを行い、その結果を影響の予測・評価にフィードバックし、必要な対策を実施するとのJR東海の進め方は適切であると判断できる」と、こちらもJR東海の考えを尊重。

加えて、工事の拠点となる3箇所の作業ヤードやトンネル掘削に伴う発生土置き場を念頭に置いた“地上部分の改変箇所における環境への影響と対策”についても、「予測内容・計画をもとに、保全措置、モニタリングを行い、それぞれの結果を各段階にフィードバックし、必要な見直しを行うとのJR東海の進め方は適切であると判断できる」と記した。

さらに“まとめと今後に向けた提言”には「トンネル掘削に伴う環境への影響を最小化するためには、高速長尺先進ボーリング等で断層の位置や地質、湧水量を把握し、その科学的データに基づき、断層とトンネルが交差する箇所及びその周辺地山に対して事前に薬液注入を行うことで、トンネル湧水量を低減することが重要である」との記述が新たに加わった。

有識者会議の委員たちは当然、静岡県が山梨県との県境付近における高速長尺先進ボーリングの中止を求めていることも知っていて、“敢えて”踏み込んだ形にも見える。

報告書の取りまとめは座長に一任も…

今回示された報告書案に関して、環境地盤工学を専門とする大東憲二 委員(大同大学・特任教授)が「かなり完成度が高い報告書になってきた」と評価したほか、リスク学などを専門とする保高徹生 委員(国立研究開発法人産業技術総合研究所)は「非常によくまとまっているという感覚を持っている」とコメント。

県の専門部会の委員でもあり、地下水学を専門とする丸井敦尚 委員も「非常にレベルが高く、すべての分野をカバーしている」と述べるなど、多くの委員から肯定的な意見が出され、最終的な取りまとめについては中村太士 座長(北海道大学・教授)に一任することが決まった。

異を唱えた静岡県・森副知事
異を唱えた静岡県・森副知事

ただ、これに公然と異を唱えたのがオブザーバーとして参加していた県の森貴志 副知事だ。「我々とすると対話が進まなかった課題、解決されていないものがあるという認識でいる。報告書案の記載はまだ議論の余地があるということが担保されていないという懸念がある」と指摘し、「我々が持っている課題が解決されていない部分については議論してほしい。改めて考え直してもらいたい」と懇願した。

有識者会議の中村座長(真ん中)
有識者会議の中村座長(真ん中)

しかし中村座長は「現状の不確実性がある中で、大枠の方向性に対して『妥当』と言っているのであって、まだデータが取得できていない部分もあるので今から掘削が始まるまでの時間を利用しながら対応していくということ」と諭すように説明し、議論は一区切りとするとことを伝えつつ、「国の有識者会議と県の専門部会は相補的であると思っている。県の専門部会でも建設的な議論を是非してほしい。今回まとめた報告書を南アルプス保全のために活用してもらえたら」と理解を求めた。

“静岡悪者論”が取り沙汰される中で

リニア新幹線をめぐっては、数年前からたびたび“静岡悪者論”が取り沙汰されている。これは県が静岡工区の着工を認めていないが故に開業の見通しが立たないという意味だ。

この風潮には県当局も神経をとがらせていて、川勝平太 知事はかつて「誰が遅らせているのか?遅らせていると言っている人がいるのではないか?その人に責任があるのではないか?風評を流しているのではないか?静岡県が遅らせていると言っているのは誰なのか?水嶋ですか?江口ですか?藤田ですか?それともJR東海の社長ですか?副社長ですか?」と国交省の幹部を呼び捨てにしたり、JR東海の幹部を挙げたりして激高したこともある。

国交省幹部を名指しして激高した川勝知事(2020年7月)
国交省幹部を名指しして激高した川勝知事(2020年7月)

とはいえ、“静岡悪者論”は収まるどころか、最近ではむしろ強まっている感すらある。

なぜなのか?

その一端が垣間見える場面が7日の有識者会議終了後の会見にあった。

出席した記者から「実施してほしい調査や懸念事項について、県から具体的に何を求めているのか提示することも大事なことだと思うが見解は?」と問われた森副知事は「具体性が欠けるということであれば専門部会の委員とも相談し、より具体的な話をしていきたい」と回答したが、確かにここのところ県から出される意見は説得力のあるものがある一方、抽象的な話であったり、論理的に無理がある話であったりも散見される。

振り返れば川勝知事は2021年の知事選に向けた政策発表で、このリニア新幹線をめぐる問題について「言い合うのではなく科学的に、技術的に、工学的にしっかりと対話する」と述べていた。

その言葉の通り、県が科学的・工学的な見地に立って対話や議論する姿勢を持たなければ、“静岡悪者論”が払拭される日はいつまで経ってもやって来ない。

(テレビ静岡)

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