「三権分立」…国家権力を立法権・行政権・司法権の3つに分けて相互に抑制させ、権力の集中を防いで国民の権利・自由を確保する仕組み

日本をはじめ世界の多くの民主主義国家が採用している「三権分立」。韓国政府はいわゆる徴用工を巡る訴訟で、2018年10月に韓国最高裁が日本企業に賠償を命じる判決を言い渡して以降、この三権分立を盾に「司法の判断を尊重する」と主張してきた。判決から2年近くが経過したが、1965年の日韓請求権協定で解決済みと主張する日本政府からの問題解決要求に韓国政府は答えを見いだせないままだ。差し押さえられた日本企業の資産が現金化され、日韓関係が破綻の危機に陥るタイムリミットが刻一刻と近づいている。

そして7月7日、この「三権分立」を巡り、韓国政府が大きな火種を抱える事態となりかねない、注目すべき別の判決が言い渡された。

被告・金正恩委員長に損害賠償を命じる

金委員長に賠償支払いを命じる判決を受けて喜ぶ元捕虜の原告ら ※一部画像を加工しています
金委員長に賠償支払いを命じる判決を受けて喜ぶ元捕虜の原告ら ※一部画像を加工しています
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問題の訴訟は1950年に始まった朝鮮戦争で北朝鮮の捕虜となった2人の男性が起こしたものだ。原告側の資料によると、2人は1953年に休戦協定が結ばれた後も北朝鮮に50年近く抑留され、強制労働をさせられたと主張していて、金正恩委員長と北朝鮮政府を相手取り、合わせて12億ウォン、日本円で約1億円の損害賠償を求めた。

当然だが被告である金委員長は法廷には現れず、被告不在のまま裁判は進んだ。そしてソウル中央地裁は7月7日、金委員長と北朝鮮政府に対して、合わせて4200万ウォン、日本円でおよそ380万円を支払うよう命じる判決を言い渡したのだ。北朝鮮政府や要人を相手取った韓国の裁判で、損害賠償を命じる判決が出たのは初めての事だ。

ソウル中央地裁は、高度な政治的案件について司法の判断対象から除外する「統治行為論」や、国家やそれに類する存在が他国の裁判の被告にならない「主権免除」の原則を採用しなかった。韓国の憲法では北朝鮮はあくまで「韓国の一部」であるため、裁判管轄権が及ぶと判断したのだ。原告側は「金日成、金正日、金正恩などが韓国国民に行った不法行為について、金正恩および朝鮮民主主義人民共和国を被告にして韓国の法廷で直接民事責任を追及できる道を開いた画期的な判決」と歓迎した。

訴訟に参加していない金委員長が控訴する可能性はほぼ無いので、この判決はまもなく確定する可能性が高い。そうなると、賠償を支払うはずがない金委員長や北朝鮮から、どうやって賠償を受け取るのかが問題になるが、それも解決出来る道筋がある。

韓国内の北朝鮮資産を差し押さえへ

南北は休戦中とはいえあくまで戦争状態であり、韓国国内に北朝鮮の資産など無さそうだが、実は存在しているという。それは、「著作権使用料」だ。

韓国の社団法人「南北経済文化協力財団」は2005年に北朝鮮の著作権事務局と協約を結び、韓国メディアなどが北朝鮮の著作物(朝鮮中央テレビの映像など)を使用する度に、北朝鮮側に著作権料を支払ってきた。しかし、2008年に南北共同で観光事業が行われていた北朝鮮の金剛山で韓国人旅行者が北朝鮮の軍人に射殺される事件が発生。韓国から北朝鮮への送金が禁じられ、著作権使用料を支払うことが出来なくなった。原告側によると、財団は支払えなくなった著作権使用料を裁判所に供託しており、その総額は20億ウォン、日本円で約1億8000万円に上るという。原告団が狙っているのはこの供託金で、今後差押え手続きに入ると宣言している。

韓国政府「司法の判断を尊重します」

韓国の大手紙「中央日報」はこの判決について「日本との徴用工判決と類似している」と指摘し、「日本に対して『司法の判断に政府は介入できない』と言っている以上、今回の判決に介入するようなダブルスタンダードを取るのは難しい」と分析した。その上で「南北関係に大きな波紋を呼ぶ可能性がある」と報じている。

南北統一に向けた政策などを担当する韓国の統一省に判決の受け止めを聞いたところ「司法の判断を尊重します」との事だった。「徴用工」を巡る訴訟と同じ答えだ。

さらに統一省の定例会見では「6月に爆破された南北連絡事務所について、北朝鮮に損害賠償を求める訴訟を韓国の裁判所に提訴する道が開けたが、検討しているのか」との質問が飛んだ。統一省側は「実効性のある方案を多角的に検討中だ」「判決は一般化されるものではなく、連絡事務所の爆破が持つ意味はまた違う」と述べ、明言を避けた。連絡事務所には建設費などおよそ15億円の韓国の税金が投入されていて、今後「提訴すべき」との世論が盛り上がる可能性はある。

連絡事務所の問題だけではない。原告側は生存する元捕虜21人と、すでに死亡している元捕虜57人の遺族らに今後聞き取りを行った上で、追加提訴する予定だ。北朝鮮を強く刺激する韓国司法の動きは今後も続く可能性がある。

今回の判決が金委員長の怒りを買う可能性はあるが、韓国政府は「司法の判断を尊重する」との立場だ
今回の判決が金委員長の怒りを買う可能性はあるが、韓国政府は「司法の判断を尊重する」との立場だ

「徴用工」訴訟における日本政府からの問題解決要求を突っぱねる中で言い続けた「三権分立」「司法に介入しない」との主張がブーメランとなり、韓国政府に跳ね返ってきた形だ。「三権分立」を尊重するのであれば、北朝鮮を強く刺激する可能性の高い判決が出ても、韓国政府は手を出せない状況となったからだ。

この判決は北朝鮮の「最高尊厳」である金委員長へ賠償を命じるものであり、脱北者団体によるビラ以上に北朝鮮の怒りを買う可能性がある。判決翌日となる7月8日現在、北朝鮮は沈黙しているが、どんな反発を見せるのか注目される。

【執筆:FNNソウル支局長 渡邊康弘】

渡邊康弘
渡邊康弘

FNNプライムオンライン編集長
1977年山形県生まれ。東京大学法学部卒業後、2000年フジテレビ入社。「とくダネ!」ディレクター等を経て、2006年報道局社会部記者。 警視庁・厚労省・宮内庁・司法・国交省を担当し、2017年よりソウル支局長。2021年10月から経済部記者として経産省・内閣府・デスクを担当。2023年7月からFNNプライムオンライン編集長。肩肘張らずに日常のギモンに優しく答え、誰かと共有したくなるオモシロ情報も転がっている。そんなニュースサイトを目指します。