きょうのイット!「しらべてみたら」は緊急特集。イスラエル軍と激しい戦闘を続けているイスラム組織「ハマス」の歴史について解説する。

民間人も狙う凶悪なテロ行為を行っているハマスとは、一体どんな組織なのか?
ハマス誕生の歴史を紐解いて見えてきたのは、意外な顔。
ガザの住民に支援物資を渡し、子供たちにはえんぴつやノートを与え、子供向けのテレビ番組まで放送していた。
その一方で、力を強めていく軍事組織としての顔。そこには軍服を着た子供の姿が・・・・

緊急特集 民衆の味方がなぜテロ攻撃を繰り返すようになったのか?
「ハマス」その光と影をしらべてみた。

「ハマス」の意味は?

宮司キャスター:
ここからは中東情勢に詳しい東京大学・中東地域研究センターの鈴木啓之特任准教授とともにみていきます。鈴木さんよろしくお願いします。

木村キャスター:
今回テロ攻撃に至ったハマスを紐解いていくキーワードはこれです「民衆のヒーローがなぜテロを?ハマス 光と影」と題して説明していきます。
鈴木さんによりますと、武装組織としての印象が強い「ハマス」には、「3つの顔」があるといいます。ハマスがもつ「3つの顔」を見ていくことでこの戦闘の打開策はどこにあるのかを探ります。

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宮司キャスター:
まずは現在のパレスチナについて見ていきます。
パレスチナ自治区は「ヨルダン川西岸地区」と地中海に面した「ガザ地区」の2つに分かれています。「ヨルダン川西岸地区」を「パレスチナ自治政府」が統治しています。そして、イスラエルとの激しい戦闘が続くガザ地区を、イスラム組織ハマスが「実効支配」しています。

ハマスの名前の由来は、アラビア語で「イスラム抵抗運動」を意味する頭文字の略で、同じつづりと発音で「情熱」「熱狂」という意味があるということです。

木村キャスター:
その「ハマス」ですが、鈴木さんによると「3つの顔」を併せ持っているといいます。
ハマスはいつ、どのように生まれ、そしてガザ地区を実効支配することになったのでしょうか。

ハマスはなぜ誕生したのか?

17年前、ガザ地区で撮影された映像には、テロ組織として知られる「ハマス」の「原点」とも言える活動が捉えられていた。

ガザ地区の住民たちがハマスから食料を受け取っている。袋の中に詰められているのはパンや缶詰。

ハマスのはじまり。それは1970年代から始めた「福祉活動」だった。
難民や貧困層への慈善活動を行い、その地位を確立した。

その後1987年に起こったイスラエルに対するパレスチナ住民の大規模な抵抗運動が発生。実力行使部隊としてその戦闘に参加すると、非道な自爆テロを繰り返す「軍事組織」として国際社会で問題になった。

2000年代中頃からは「政治」の場にも足を踏み入れると、2006年の選挙で過半数の議席を獲得し勝利した。その後はガザ地区を実効支配。時とともに組織を拡大させていった。

ハマスの3つの顔

木村キャスター:
時代と共に、年数を経て組織の拡大とともに姿を変えてきた「ハマス」。
その「3つの顔」の1つが、ハマスの元々の姿でもある「福祉団体」としての顔。
その後2つ目の顔が「軍事組織」としての顔。
最後が、選挙にも勝利した「政党」としての顔。

およそ30年間で「福祉団体」「軍事組織」そして「政党」という3つの顔を持ちながら組織を拡大させていった「ハマス」。
「民衆のヒーロー」のような存在となっていきますが、なぜ民衆からの支持を獲得していったのか?その「光」の部分をみていきます。

ハマスが民衆からの支持を集めたきっかけは、1970年代。
ガザ地区の難民や貧困層への慈善活動として始めた「福祉活動」です。

宮司キャスター:
当時のパレスチナは、1948年に建国されたイスラエルと4度の中東戦争を行い、イスラエルの占領下となっていました。そうした状況下で、イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」が母体となってのちの「ハマス」となる活動が始まったのです。

木村キャスター:
その福祉活動はどういったものがあったのか。鈴木さんによると、市民のために幼稚園や託児所、スポーツクラブなどを作り支援活動を行っていたといいます。
さらにガザ地区を取材した経験のある中東ジャーナリスト池滝和秀さんによると、ハマスは貧困層への食料配布や、子供たちにノートや鉛筆を提供するなどの支援を行っていたということです。ハマスの母体となったこの団体について、池滝さんは「弱者救済を重視する組織だった」としています。

貧困層への食料だったり、子ども達に文房具を与えたり、「弱者救済を重視する組織」でした。

榎並キャスター:
この活動は貧困にあえいでいたパレスチナの人達にとって どういったものだったのでしょう?

東京大学・中東地域研究センター 鈴木啓之特任准教授:
ハマスはどういう環境から出てきたのか。その疑問は私達も持っていますが、一番その疑問をもっていたのはイスラエルの人。イスラエルの研究者の研究では、ハマスは占領下の環境で育ってきたと。それは最初福祉団体から出来たと。
当時ガザ地区含めてヨルダン川西岸地区もイスラエルの占領を受けていた。第3次中東戦争は1967年にありましたけど、それ以降、イスラエルの占領下にありました。占領下にある社会というのは、国が提供するような社会福祉であるとか、行政サービスのようなものがほとんど機能していない環境にあります。その中で、日本でいうNGOやNPOと呼ばれるような団体が提供しているサービス、これを提供する団体がいくつも活動していて、その中の1つがハマスに発展していく団体だったということです。

木村キャスター:
生活部分を含めて支援していくなかで支持を獲得していくと。その一つに生活支援や教育支援があったわけです。
そして活動の場を「政治の世界」に広げていきます。
注目されたのは、2006年に行われたパレスチナ自治区の選挙です。
ハマスは、当時パレスチナの実権を握っていた、中東和平を目指すPLO=パレスチナ解放機構の主流派勢力「ファタハ」に勝利、第一党の座を獲得しました。
しかし、状況は「一転」します。
選挙後に欧米などから、過去のテロ行為などを理由に猛反発を受けたのです。
イスラエルに加え、国際社会から「ハマスが参加するパレスチナ自治政府に対しては支援を与えることができない、承認することができない」という声が上がりました。
こうした中で、各地でファタハとハマスの戦闘が発生、パレスチナ内部での抗争に発展したのです。ハマスはパレスチナのヨルダン川西岸地区から追い出されることに…。
その一方でハマスはガザ地区で「ファタハ」の勢力を武力で制圧、「実効支配」を始めました。

木村キャスター:
この出来事をきっかけにハマスは、実効支配したガザ地区での存在感をさらに高めます。
このあと、ハマスの影の部分もお伝えします。
民衆にとっては、ハマスは常に日常にいる存在に。
現在では想像がつかないハマスの姿とはどういったものだったのかというと、日本なら公務員が行う市役所の業務などをガザ地区ではハマスが担当することとなり、例えば、市役所への相談や、保健施設への健康相談に行くとハマスの職員が対応することになったのです。

榎並キャスター:
行政の役割を担うという事ですから、そういった面ではハマスは市民にとって必要な存在だったのですか?

東京大学・中東地域研究センター 鈴木啓之特任准教授:
ハマスは2007年6月からガザ地区の行政を担っています。日常の中でハマスというのは姿をあらわすんですね。窓口で目出し帽で出てくることはないのですけど、ごく普通の公務員の服装で出てきますが、ハマスのメンバーは日常生活のなかで、人々は目にします。ガザの人口は220万人と言われています。その人々の行政サービス、あとは社会福祉サービスなどの面でハマスは顔を出している。秘密組織ではありませんので。日常生活で見る、そんな存在ですね。

宮司キャスター:
身近な存在ということですが、その後イスラエルとの関係は次第に悪化していきます。
4度の中東戦争を経てイスラエルの占領下となりますが、1987年にイスラエルに不満をためていたパレスチナの人たちが立ち上がります。抵抗活動「第一次インティファーダ」です。
そのころ、福祉団体だったハマスに変化がおきます。
「軍事組織」の顔をもつことになったのです。

ハマスのテロ行為と軍事力

ハマスの戦闘訓練を捉えた映像。そこには大声を出しながら、火が付いた輪を次々と飛び越える戦闘員が映し出されている。さらにうずくまった人間を飛び越えたり、攻撃してきた相手を投げ飛ばす訓練も。最後には、銃を使った実践さながらの訓練も行われていた。

こうした訓練を行いながら、軍事組織としての力を付けていったハマス。
そこで繰り返されたのは、人々に恐怖を与えてきた「自爆攻撃」だ。

最初に自爆攻撃が行われたのは1990年代。
その後、2000年代に入ると、攻撃はさらに頻発した。

その標的になったのはイスラエルだ。
2002年にはイスラエル中部のリゾート地で自爆テロが発生。4人が死亡した。

ハマスによる自爆攻撃によって、イスラエルでは、市民を含め1000人近くが犠牲になったといわれている。

ハマスはなぜ軍事力を強めていったのか?

木村キャスター:
2000年頃から自爆攻撃などを激化させたハマス。イスラエルとも大規模な戦闘が複数回あって、今回、イスラエルの一般人を巻き込む衝突へと発展しました。

榎並キャスター:
民衆の側に立っていたハマスが、なぜテロ攻撃を繰り返し軍事力を誇示するようになっていったのですか?

東京大学・中東地域研究センター 鈴木啓之特任准教授:
ハマスが民衆側に立っていたというのは、決して市民活動を支援するだけではありません。占領下にある人々、つまりパレスチナの人々の側に立つ。それは時として占領者だったイスラエルに対しての実力行使になる。1987年、ヨルダン川西岸地区とガザ地区ではイスラエルへの抗議活動、インティファーダが起きていました。その中で、ハマスも実力行使部隊を持つ。つまり政治団体として、政治組織として強く自分たちの行動というものを、実行で示していくと。そしてハマスが自爆攻撃、自爆テロと呼ばれるものですね、を行い始めるのは1994年です。この年に、ヘブロンというヨルダン川西岸地区南部の町がありますが、そこで「マクペラの洞窟虐殺事件」
またはヘブロン虐殺事件と呼ばれるものが起こります。これはイスラエルの入植者だったゴールドシュタインという人物が、モスクで礼拝中のパレスチナ人に対して銃撃を行ってしまう。多くの方が亡くなりました。それに対してのいわば報復、この言葉は好きではありませんけど、または対応というなかで、ハマスが編み出していった。またイスラム聖戦が編み出していった。それが自爆攻撃ですね。

木村キャスター:
軍事組織としての色合いが強くなっていくにつれて、反イスラエルの姿勢を強めていきます。
そして子供たちにも驚きの教育を行っていました。

ハマス制作の番組が子供たちのイスラエルへの憎悪あおる

カメラの前でポーズを取るハマスの戦闘員。
その傍らには、写真に隠れてしまうほどの小さな子供が。
銃を持っている男の子の額には、アラビア語で「アッラーの他に神はなし」と書かれている。

貧しい子供たちへの食事の提供や、学校教育にも力をいれていたというハマス。

これは、ガザ地区でテレビを見る子供たちの映像。真剣な目で見つめるその視線の先には、ミッキーマウスそっくりのキャラクターが何度も殴られる衝撃のシーンが。殴っているのはイスラエル当局に扮した人物だ。

この番組は、2007年にハマスが運営するテレビ局が制作した子供向けのテレビ番組。

このキャラクターはイスラエルとの争いについて過激な主張を繰り返してきた。

メディアを使い、子供たちにイスラエルへの憎しみを教え込む目的があったとみられていて、
イスラエル側はこれを強く批判している。

ハマスの現在・未来

宮司キャスター:
子供を軍隊に取り込み、テロ行為を繰り返すハマスに対し市民はどのように感じているのか?
一つのデータとしてご覧頂きたいのですが、今年9月にパレスチナ自治区で行われた世論調査で次の指導者が誰が良いかきいたところハマス指導者のハニヤ氏が58%でパレスチナ自治暫定政府・アッバス氏の37%を上回る結果となりました。

ハマスの方が支持されている結果となっていますが…ガザに多くの知り合いがいる中東ジャーナリストの池滝さんはこう指摘しています。

「ガザ地区のハマスにおける実効支配開始後からイスラエルの締め付けが厳しくなり、ハマスも財政面などで統治するのに苦労していて、重税などを住民に課している。その不満が強まってきているがそれに対して、言論弾圧が強まり、ガザ地区の住民もメディアも自由な言論が展開できない」ということです。

榎並キャスター:
市民の生活を見れば、イスラエルによる封鎖が行われ厳しい状況化、実際のところハマスに対する見方は変わってきている?

フジテレビ・立石修取材センター室長:
それには、ガザ地区の現状を考えなければいけません。ガザ地区は若い人が多くて人口の半分が18歳未満だと言われています。ところが、ものや人の移動が制限される中、経済活動ができない。2023年はじめの世界銀行の調査では、19 歳から 29 歳までの失業率は70%。若者達が希望を持てない状況になっている。うつ病の人も調査によると7割を超えているというようなデータもある。若い世代がハマスのような過激な思想に向かう温床は変わっていないと思います。

木村キャスター:
軍事組織としての顔を拡大させていくハマスは今回、イスラエルへの奇襲攻撃を実行しますが、その内部では「ある異変」が起きている可能性があるといいます。
鈴木さんによると、ハマスは「政治局」と、内閣的な役割で実権を担っていると。そして各部門から選ばれた、国会的な位置づけなのが集団会議というのがあります。ここに諮問したりもしますが、基本的には政治局が決めていく。
軍事部門には、諸説あるそうですが1万5000人から2万人ほどの構成員がいて、その多くはパレスチナ人だといいます。

宮司キャスター:
そして、その政治部門のトップにたっているのが、ハニヤ最高指導者です。
イスラエルへの奇襲攻撃後には、中東のカタールにいて、ガザ地区では、水不足や食料難で苦しむなか遠く離れた場所に滞在しているということで、海外メディアは「ハマスの指導者たちはカタールで5つ星の豪華な生活をしている」と批判しています。
そしてもう1人、軍事部門のトップ「モハメド・デイフ氏」です。
ガザ地区では伝説的なヒーローとして扱われているそうです。
今回の戦闘について、鈴木さんは「軍事部門が先導してハマスの政策を決めることはこの十数年なかったが、もしこのパワーバランスが変わったのだとしたら、厄介」とみています。

榎並キャスター:
鈴木さん、「厄介」というのはどういう点でしょうか?

東京大学・中東地域研究センター 鈴木啓之特任准教授:
対外的な広報活動、それはイスラエルから見ればプロパガンダ活動いうことになるでしょうけど、それを担ってきたのが政治局です。そしてその政治局の指導を受けるような形で軍事部門が実行力を行使してきた。2008年から2009年にかけて、ガザ地区で大きな戦闘がありましたけど、このときには政治局の、今のハニヤの前ですがミシュアルという政治局長がいましたが、この人物がイスラエルとの停戦破棄というのを宣言してから戦闘に突入している。明らかに政治局が決定を担っていた。
今回に関して、軍事部門の報道官から出る声明と、政治局の声明に私は若干の温度差を感じています。つまり、軍事部門が出してくる戦闘的なイスラエルへのメッセージ。政治局が出す、国際社会に訴えかけるようなガザの人道状況を救って欲しいというメッセージ。明らかに温度差があるんですね。この温度差がハマスのなかの調整不足だけなのか、または組織内で変化が起きているのか、これは分かりませんけど、すくなくとも疑問を持たせるような兆候がみられます。

榎並キャスター:
軍事分を制御できなくなっているかもしれないとうことですか。

東京大学・中東地域研究センター 鈴木啓之特任准教授:
その可能性は十分にあると思います。

榎並キャスター:
今後の戦闘の打開策はあるでしょうか?

東京大学・中東地域研究センター 鈴木啓之特任准教授:
10月7日のハマスなどガザ地区を拠点とするパレスチナの武装勢力によるイスラエルに越境しての攻撃。1400人とも呼ばれる民間人を含む犠牲者を出している。この行動のゴールというものを定めていないように思えます。ある意味攻撃は手段では無くて目的だったのではないかと。つまりイスラエル社会に対して最大限の打撃を与えること、これが目的である。その後のこと、この先のことというのを計画的に考えていなかったのではないかと私は思います。
もちろん人質をとっている、それを巡る交渉とういうのはあるのですけど、引きつづき現在の対立状態というのは続いてしまうだろうと思います。
ただ、現在のガザ地区情勢において地上侵攻があるかないか、またハマスとはどういう組織か、意志決定というのはどうかという点に注目されがちですが、イスラエル国内での犠牲者は1400人、そしてガザ地区ではすでに4000人をこえる住民が空爆のなかで亡くなっています。この部分、人道主義であるとか、市民の生活、命に関する。私達がそれを許さないという声を出す、その部分は改めて強調するべきだと思います。

榎並キャスター:
アメリカ人2人を解放したのはどうみればよいでしょうか?

東京大学・中東地域研究センター 鈴木啓之特任准教授:
ハマスからの揺さぶりであると思います。イスラエル政府とイスラエル世論に対して、我々には人質がいると。地上侵攻してよいのか、そういうことです。