大分市内を散策すると、いろいろなところで見かける彫刻。市内にある屋外彫刻の数はなんと65基。なぜそんなに彫刻があるのか?そこには、時代を切り開いた人物たちの力が大きく関わっていた。

アイデア市長と偉大な人物の交流

案内してくれたのは大分市美術館の館長、菅章さん。様々なジャンルに精通し、大分の美術界を牽引する人物だ。

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なぜ大分市には、こんなに彫刻が多いのか…菅館長に聞いてみた。

「大分市の公選市長として初めて市長になられた上田保さんが、戦後の復興のために公園を作ろうと、そしてその公園に彫刻を置いていこうという活動をされていたんです」(菅章さん)

上田保は市長を16年間務める中で、様々な功績を残し「アイデア市長」とも呼ばれた。中でも「公園」と「彫刻」という組み合わせは、ある偉大な人物との交流が。

朝倉文夫と瀧廉太郎

上田市長が親しくしていたのが朝倉文夫。その朝倉文夫にお願いをして彫刻を最初に作ったのがきっかけになったという。

大分県豊後大野市出身の彫塑家、朝倉文夫。優れた観察眼と高い技術力で「東洋のロダン」とも呼ばれ、日本の彫刻界を牽引した人物。大分市の遊歩公園には、第1号の瀧廉太郎君像が今も残っている。
瀧廉太郎は竹田市出身の音楽家。彫刻のモチーフがなぜ彼になったかというと…

「朝倉文夫と瀧廉太郎は竹田高等小学校の同窓生。ここは瀧廉太郎の終焉の地、このすぐ近くで最後、亡くなられたんです。そういうことで、この場所に瀧廉太郎の像を作ろうと上田市長が朝倉文夫にお願いをしたと」

鉛筆を100万本売って作った作品

この作品にはこんなエピソードも。

「朝倉文夫と瀧廉太郎は、小学校でちょっと一緒にいたぐらいでほとんど会った記憶が無いが、それを思い出しながら作ったというんです。成人となった瀧廉太郎のイメージを思い浮かべながら作ったというから天才ですね。もうひとつ重要なのは、この作品を作るために公費を使わずに、上田市長が鉛筆を作って100万本売ったお金で作っている。その頃は市民の生活もままならない、みんな貧しかった時期ですから、そこが上田市長の“アイデア市長”としての面目躍如 」

彫刻がタダで見られるお得な街

ちなみに、2番目に設置された彫刻も朝倉文夫の作品。
加えて上田は「大分らしさ」を表現するため、また自身がキリシタンだったことから南蛮文化やキリスト教に関する彫刻も数多く設置している。
さらに昭和50年代から「彫刻のあるまちづくり事業」が実施され、市内各所に彫刻が設置されることになっていった。

「例えば美術館に行かなきゃ見れないとかではなくて、みなさんが憩い集う公園などの場所で彫刻を見てもらうということの大切さを伝えたかったんじゃないかと思います。こうした彫刻がタダで見られるということは、市民・県民への上田市長からのプレゼント」

タダで彫刻に触れ合えるかなりお得な街、大分市。ちょっと意識して散策してみてはいかがだろうか。

(テレビ大分)

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