多くの犠牲者を出した第二次世界大戦の終戦から78年。戦争を体験した人が少なくなる中、祖父の富山大空襲の体験を語り継ごうという中学生がいる。祖父から孫へ戦争体験を語り継ぐ家族を取材した。

市街地を焼け野原にした「富山大空襲」

78年前、終戦の直前、8月2日未明の富山市街地を焼け野原にし、多くの犠牲者を出した富山大空襲の様子を語るのは、富山市の佐藤進さん88歳。

富山大空襲の様子を語る佐藤進さん
富山大空襲の様子を語る佐藤進さん
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富山大空襲を語り継ぐ会・佐藤進さん:
まず、田んぼに避難した。布団かぶってうずくまっていた。そしたら、無数の焼夷(しょうい)弾が落ちてきた

戦争の悲惨さを後世に伝えようと有志による団体「富山大空襲を語り継ぐ会」の語り部として長年活動をしている。

佐藤さんの話に耳を傾けるのは、孫の中学3年生、西田七虹さん15歳。学校で「空襲」をテーマにした課題研究に取り組んでいて、この日は祖父の佐藤さんから空襲当時あった自宅近くで、その時の様子を詳しく聞いた。

富山大空襲を語り継ぐ会・佐藤進さん:
ここに井戸があった。それで、ここがおじいちゃんと兄貴の勉強部屋だった

空襲で自宅が焼けてしまったことは佐藤さんから聞いてはいたが、空襲からどのようにして逃げ延びたのか、当時の話を聞いたのは初めてだった。

富山大空襲を語り継ぐ会・佐藤進さん:
直撃は受けなかったけど、本来なら焼い弾が破裂して、本当はここで焼け死んでいても仕方なかった。田んぼで地面が柔らかくて、地面に深くめり込んだ焼い弾は、すぐ火を吹かなかった。ちょっと時間があった。それで、私と兄はそこに持ってきた教科書や大事な物を入れたかばんを置き去りにして、この川に飛び込んだ

西田七虹さん:
そうなんだ

しかし、6歳の妹は恐怖から動けなくなっていて、母親はその妹を抱き抱えて、なんとか川に飛び込み、その瞬間、周辺にあった焼夷弾が火を吹いたと言う。

富山大空襲を語り継ぐ会・佐藤進さん:
もうちょっと遅かったら、妹と母親は焼け死んでいた。そしたら、私と兄は何で自分たちは先に逃げたんだろうって一生後悔するところだった

高齢化が進む中…初の“中学生会員”

「空襲」体験に強く心を動かされた七虹さんは、2023年4月からは佐藤さんが所属する「富山大空襲を語り継ぐ会」に入った。会員の高齢化によって会の存続が懸念される中、会にとって初めての中学生会員だ。

西田七虹さん:
空襲のお話ならおじいちゃんからも話を聞けるし、私も知らないことがたくさんあるので、私が自分で学ぶことになるし、他の人に伝えるのもいい機会になると考えた

富山大空襲を語り継ぐ会・佐藤進さん:
簡単ではないけども、挑戦しようと思ってくれたことはうれしかった。いろいろ資料なども提供して、手助けしたいと思っている

戦争を繰り返さないために“語り継ぐ”

佐藤さんは、戦争を知らない世代が空襲体験を伝えることの難しさを感じているが、資料などでは分からないことを語り継ぐことが重要だと話す。

富山大空襲を語り継ぐ会・佐藤進さん:
(戦争を)知らない人が多いと、また戦争が起きるのではないかという不安がある。教科書も本当のことを伝えていない。本当のことを伝えるべきと思っているので

こうした佐藤さんの考えに、七虹さんも戦争を語り継ぐ必要性を強く感じている。

西田七虹さん:
自分の耳で聞いて後世に伝えることはすごく大切だと思う。それを途絶えさせてしまったら、また同じことの繰り返しになってしまうと思う。まず知ってもらうことが大切なんじゃないかなと思う

祖父から孫へ。悲惨な戦争は繰り返さない。その願いが受け継がれている。

(富山テレビ)

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