震災後に造成された宮城県七ヶ浜町の集団移転地に、シンボルとなっていた一本のヤマザクラがあった。「笹山桜」と命名され、住民とともに復興の歩みを進めてきたが、6月、その役目を終えた。
七ヶ浜町集団移転地のシンボル
宮城県七ヶ浜町の菖蒲田浜のすぐそば、高台にある笹山地区。
この記事の画像(13枚)相澤勇一さん:
良いでしょここ。ここでビールなんか飲んだら最高ですよ。
この地区で暮らす、相澤勇一さん(67)。
相澤勇一さん:
一つの魅力だね。妹が東京から来るんですけどたまに、ここに来てゆっくりしていきますよ。
この日向かったのは地区の入り口にある公園。そこにあったのは根元から折れてしまった一本のヤマザクラ。
相澤勇一さん:
とうとうシンボルが無くなったかなという感じです。笹山地区の中心的なシンボルだったので。
東日本大震災で約4000戸の住宅が被害を受けた七ヶ浜町。町は震災後、沿岸部の一部を移転促進区域に指定し、集団移転事業を進めてきた。
町内五つの地区で宅地の造成が進められ、このうち菖蒲田浜や花渕浜で被災した人たちの移転先となったのが笹山地区。七ヶ浜国際村の南側にあった約9.7ヘクタールの山林を切り開き、震災から4年後の2015年、宅地が完成した。
元は山林ということもあり、以前は多くのヤマザクラがあったこの地区。住民は他の木よりも大きく親木だったとみられるヤマザクラ一本だけは伐採せず、地区のシンボルとして残すことを決めた。幹回りは約6メートルで、高さは15メートルほど。毎年春になるときれいな花を咲かせたこのヤマザクラを、住民たちは「笹山桜」と命名した。
相澤勇一さん:
特別な桜ではなかったけど、ただ、笹山の中心だから、この木があるから、ここが笹山だとわかったからね。
復興の軌跡見つめた笹山桜
しかし、6月9日、笹山桜が倒れているのが見つかり、撤去されることが決まった。樹齢は150年ほど。根元は腐食し空洞化していて、強風に耐えきれなかったとみられている。2023年3月にあった地区の総会で、「笹山桜」の老化が話題になり、対応を検討していたさなかの出来事だった。
相澤勇一さん:
復興を見守ってきて、この木を象徴に周りにどんどん家ができてきて、心の拠り所だった。
そして、迎えた、6月20日。伐採されたヤマザクラが石巻市内の処理施設に運び出されると…。跡には何も残らず更地となった。この場所を特別な思いで見つめるのは伊藤政治さん(79)。
記者:どうですか、今のこの景色は。
伊藤政治さん:寂しいね。
この地区の初代区長を務めた伊藤さん。被災して様々な地区から集まった住民たちに、交流する機会をもってもらいたいと、この「笹山桜」の下で春には花見、夏には夏祭りを企画し、親睦を深めようと努めてきた。
伊藤政治さん:
苦しい時だったので、少しでも心の活性化のために、一つの行政区になって、みんなで一緒にやろうということで始まったのが、最初は花見。
伊藤さんは、ここがまた住民を一つにする場所になることを願っている。
伊藤政治さん:シンボルツリー、一番はサクラの木でも植えてほしい。
記者:またきれいなサクラを見たい?
伊藤政治さん:はい。その下で一杯飲めば最高においしいと思います。
住民とともに歩み、復興を見守ってきた「笹山桜」。愛され、惜しまれながらもその役目を終えた。
(仙台放送)