避難先から12年ぶりに、地元での学びを再開した福島県大熊町の学校。慣れ親しんだ避難先から、学校と共に戻る決断をした親子も。帰還した子どもたちは、町の復興と共に成長の日々を過ごしていた。
新たなスタート 大熊へ
大熊町の「学び舎ゆめの森」は、認定こども園と小中一貫の義務教育学校が一体となった教育施設で、2023年4月に町内で学びを再開した。
この記事の画像(12枚)東京電力・福島第一原発が立地し、原発事故後は全町避難を余儀なくされた大熊町。小学校と中学校は避難先の福島県会津若松市に場所を移した。
それから12年目の春を迎えた2022年、学校は「学び舎ゆめの森」として新たなスタートを切り、大熊町に戻ることを決めた。
避難先で生まれ育つ 戻る決意
5年生の後藤愛琉さんと、新1年生の弟・琉清くん。2023年春から父親の故郷である大熊町で生活している。
避難先の会津で生まれ育った愛琉さん。家族は「学校と一緒に大熊町へ戻るかどうか」という選択を迫られた。母・仁美さんは「建てた家を手放してまで、大熊町に帰るっていう決断をしたのも、やっぱり子ども達の学びのため。引き続き、娘のサポートをしっかりします」と話し、愛琉さんの教育環境を優先し、少人数だからこそ手厚いサポートが期待できると考え、戻ることにした。
町民も期待する学校の帰還
「学び舎ゆめの森」に通う子どもは、1歳から中学3年生まで26人。新しい校舎は2023年夏頃に完成を予定していて、それまでは役場など町の施設を使い勉強をしている。
大熊町民は「役場に来ても、周りに人影がなかった。今は子どもの声が聞こえるのが嬉しい」「運動会とか、町にいるいろんな人集めて盛大に楽しくやれるといい。そういうのを期待しています」と学校への思いを語る。
新生活がはじまる
大熊町に戻ったことで、愛琉さんには初めて同級生ができた。「会津だと人数が少なかったけど、大熊に来てからは人数が増えたのでそこが嬉しい。新しい同級生なので、いっぱいおしゃべりしたり、遊んだり。家も近いので自転車で遊んだりとかするのが楽しいです」と愛琉さんは話す。
教室も給食も学年に関係なくみんなで一緒に。琉清くんは「楽しい毎日を過ごしたいです」と話し、学校を楽しんでいるようだ。
母・仁美さんは、新しい生活を始めた子どもたちについて「それぞれ好きなことを学んで、目一杯体を動かして、いっぱい勉強して。楽しい人生を送っていけたらいいんじゃないかなと思います。不安とか悩みとかあったらすぐ言ってほしいし、一緒に解決していきたいし、共に成長していきたい」と話した。
12年ぶりに響く、子どもたちの声。当たり前だった風景を、少しずつ取り戻している。愛琉さんが「大熊町の人と仲良くなれるように生活していきたいなと思っています」と話すように、それぞれの歩幅で一歩一歩。大熊町とともに、子どもたちが成長している。
(福島テレビ)