鹿児島・南さつま市の万世特攻祈念館に、太平洋戦争末期に撮影された出撃直前の特攻隊員の写真が展示されている。この中の1人の遺族で、戦争の語り部として活動している女性が、初めて鹿児島で平和学習を行った。そこには、これから語り部を目指そうという鹿児島市の女性の姿もあった。終戦から約80年、2人の交流を通して今、戦争をどう語り継いでいくべきか考える。
語り部目指す女性、特攻隊員遺族と交流
太平洋戦争末期の1945年5月、現在の鹿児島・南さつま市にあった万世飛行場で、出撃の2時間前に撮影された、子犬を抱いた特攻隊員の写真が万世特攻祈念館に展示されている。
この記事の画像(19枚)「これから特攻に行って自分が死ぬと分かってこの時を迎えていることに衝撃を受けました」と写真を前に語るのは、鹿児島市の肝付友美さんだ。
肝付さんは戦争体験者の証言を次の世代に継承しようと、2021年から、有志で活動する「戦争を語り継ぐ集い」の運営に参加している。現在30歳の肝付さんは、戦争を知らない世代だが、語り部を目指し勉強中だ。
そんな肝付さんには会いたい人がいた。神奈川県から来た語り部の高徳えりこさん(56)だ。実は冒頭に紹介した写真に写る隊員の1人・高橋峯好伍長は、高徳えりこさんの父親の兄つまり伯父にあたる。(※高徳えりこさんの「高」ははしご高)
高橋峯好伍長は商業学校を中途退学して陸軍の飛行兵になり、特攻隊員として沖縄沖で戦死した。17歳だった。
高徳えりこさん:
本当に身内だなって。私の父や息子にそっくりなんです
56歳の高徳さんも肝付さん同様、戦争を体験していないが、特攻隊員の遺族として全国各地で語り部活動を行っている。
肝付友美さん:
遺族がこういう活動をするのは、聞き手にとっても、すごく分かりやすいというか、心に入りやすいものがあると思うので、お会いできるのがとてもうれしくて楽しみにしていました
高徳えりこさん:
このように若い人が語り部を目指していらっしゃるというのが、心強く大切なことと思う
平和学習を間近で見て…
4月23日、南さつま市の万世特攻平和祈念館で行われた特攻慰霊祭。高徳さんは遺族の代表として、「どんな思いを隠していたの?笑顔の下で本当は怖くはなかったの?」と、特攻作戦で犠牲になった伯父に向けて作った歌を届けた。
翌日、高徳さんは万世中学校を訪れ生徒たちに平和学習を行った。約180人の生徒が高徳さんの言葉に耳を傾けている体育館には肝付さんの姿もあった。語り部を目指す肝付さんにとって、先輩の活動を間近で見る貴重な機会だ。
高徳えりこさん:
特攻は大切な命を物のように扱う、やってはいけない作戦でした。特攻隊を美化しないでほしいと心より願っています
平和学習の後、肝付さんは語り部として心がけていることを高徳さんに尋ねた。
肝付友美さん:
分かりやすさや、伝えやすさについて、どういうことを意識していますか?
高徳えりこさん:
どうしたら子どもたちに、より分かりやすいか言葉を選ぶし、歴史に関する本を読んだり学びながら構成を考えた
歴史とどう向き合っていくか…続く模索
これまで6年にわたり語り部として活動してきた高徳さんのSNSには、語り部になるまでのプロセスや実際に話をする際のノウハウが記されている。そんな高徳さんが、語り部として最も大事にしていることとは…。
高徳えりこさん:
歴史の一つとして勉強したというだけで終わらず「今、自分にできることってあるのかな」ということを、私が問いかけた一瞬だけでもいいので感じて、考えてほしいという思いでやっています
高徳さんは続けた。
高徳えりこさん:
肝付さんは今、戦争体験者の語りの会に参加しているので、この人の、この体験を伝えたいとか、心に響く話、後世に伝えたいという話に出会うことがあると思う。まずは準備をして、行動することを始めてほしい
肝付友美さん:
現代でもその(戦争を体験した)人たちから学ぶことはたくさんあると思う。そういうことを学んだ上で、若い人が命を大切にしてよりよい未来を築いていけたらと思っています
終戦から78年。刻一刻と薄れていく戦争の証言や記録を後世に引き継ぐのは簡単なことではない。今後、私たちが過去の歴史とどう向き合っていくべきか、戦争を知らない世代の模索が続く。
(鹿児島テレビ)