鹿児島県の奄美群島は、小笠原諸島や沖縄同様、戦後、一時アメリカ軍の統治下に置かれた歴史がある。2023年は日本に復帰して70年の節目。これに合わせてさまざまな場所で、復帰70年を祝うイベントが実施されている。

奄美本土復帰をテーマにしたダンス披露

奄美市の奄美文化センターでは3月12日、県立大島高校ダンス部の発表会が行われ、復帰をテーマにした創作ダンスも披露された。

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この発表会、コロナ禍で大きな舞台を経験できなかった3年生にとっては集大成の場ということもあり、会場は1,300人の観客で満席となった。

2時間で14作品が披露される中、ひときわ大きな拍手が送られたのが、奄美の本土復帰をテーマに作られた創作ダンス「同胞よ立ち上がれ」だった。

ダンスは、アメリカに支配され苦しい生活を余儀なくされた当時の奄美の様子、そして人々の思いが結集し、署名や断食など武力に訴えない運動で復帰を勝ち取った歴史が表現されている。自分たちで歴史を調べ、形にした部員たちは、大きな日の丸の衣装をまとい、全身で復帰までの歴史を表現した。

「自分たちの思いは中途半端なものではなかった」

来場者(復帰当時を知る人):
何も物がなかった時代の、生活が苦しかったことを思い出し、感動で涙が出ました

来場者(復帰当時を知る人):
私たちが苦しんだことを、若い人たちに同じ苦しみをさせたくない

来場者(18):
若者たちがこういう奄美の伝統・文化を引き継いでいかないといけない時代になっているので、心に響く作品でした

大島高校ダンス部・政村李玖さん(3年):
奄美の日本復帰のことを詳しく知っている人がお客さんの中にいるかもしれないし、自分たちが日の丸を衣装として身につけて踊ることがどう受け止められるのか不安もあったが、この作品にかけてきた自分たちの思いは、中途半端なものではなかった

大島高校ダンス部・牧主朋子さん(3年):
先人たちがいて今の自分たちがあるし、先人たちに「ありがとう」という感謝の気持ちと、「これからは自分たちが次の世代につないでいく」というのが伝わればいいと思って踊った。後輩たちにこの思いを受け継いでほしいと思います

住民一丸となった奄美大島の復帰運動

同じ3月12日、奄美大島の南部・瀬戸内町では戦争の悲惨さや復帰運動の歴史について伝える演劇「私たちの望むものは」が上演された。

高齢者役の女性:
ばあちゃんがあんたたちの年の頃、日本も戦争していたんだよ

子ども:
本当!?

高齢者役の女性:
本当だよ。日本が戦争に負けてこの島はアメリカになったんだよ

子ども:
奄美大島がアメリカになった!?

脚本と演出を担当したのは、鹿児島・奄美市出身の映画監督・富岡忠文さん。町内の小・中学生を中心に公募で集まった住民らあわせて26人が、2022年10月から稽古を重ねてきた。

舞台では、現代の瀬戸内町に暮らす子どもたちが、戦争の悲惨さや復帰運動の歴史について学んでいく。

子どもの役:
兄ちゃんたちは何をしてるの?

大人の役:
本土復帰は島の人たちみんなの願いというのを、お国の偉い人たちにも全国の人たちにもアメリカの人たちにもわかってもらうために、一人一人に名前を書いてもらっているのよ

子どもの役:
ふーん

奄美群島で行われた復帰運動では、住民たちが署名活動や断食祈願など、血のにじむような運動を展開した。その際、瀬戸内町では、運動を主導する協議会の活動資金を捻出するため、住民たちが働いてお金を工面してきたという。

住民たちが一丸となって取り組んだ運動は、1953年12月25日、奄美群島の日本復帰という形で実を結んだ。上演時間約70分。一生懸命演じた子どもたちには惜しみない拍手が送られた。

来場者:
最高。すごい。復帰、復帰とよく聞くが、よくわかった。多くの人に見せてほしい

先人の教えをしっかりと受け継いだ子どもたち

出演者:
奄美の歴史を知りながら、深めながら、いろんな人に協力していただいて、劇を成功することができてうれしいです

出演者:
奄美のために今まで戦ってきた人たちがいたから今の自分たちがいるんだと思って。諦めない心。私もいろんなことを諦めないように、このことを刻みたいと思った

脚本・演出を担当 富岡忠文さん:
「戦争っていやだね」というのを今の子どもたちがちゃんと認識するような舞台になればいいなと思った。「よかった」と言ってもらえたのなら、私も子どもたちも頑張ったかいがあったと思います

日本復帰から70年。奄美の子どもたちは、先人の教えをしっかりと受け継ぎ、未来に向かって歩んでいる。

(鹿児島テレビ)

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