いわゆる袴田事件について、東京高裁は13日に再審開始決定を出し、犯行着衣について捜査機関による「ねつ造」の可能性を示唆した。事件発生時に捜索にあたった元捜査員は、取材に応じ「事件後の捜索で衣類は見当たらなかった」と証言している。
転勤先で知った“5点の衣類”発見
この記事の画像(21枚)元捜査員:
工場の捜索にも入って、その実況見分時にそういうものがあれば当然押収する。見落としたということはあまりないと思うけれど
こう証言をするのは元捜査員だ。
57年前、静岡県警清水警察署の署員として袴田事件の捜査にあたり、現場検証や凶器の販売元、証拠品の精査などを担当したという。
事件発生から1年2カ月後、転勤先の警察署で「5点の衣類発見」を知った。
元捜査員:
それに入って底をさらったり、何かしらには従事しているけれども衣類のことに関しては報道で、一年経った報道で初めて知った。あれば当然、あそこに捜索に関わった私どもの当然目にふれるだろうし
当初の犯行着衣は「パジャマとカッパ」
一家4人の強盗殺人・放火事件は1966年6月30日に当時の静岡県清水市で発生した。みそタンクの検証・捜索は4日後、7月4日に行われている。
元捜査員:
いわゆるはしごみたいな物があって足をかけて、見たのは見た。みそタンクの底までおりてどうのと、そこまではほとんどしていない。片足ぐらいは若干ついたかもしれないけれど
懐中電灯を照らしながら複数人で行った当時の捜索。5点の衣類は発見されなかった。
約1カ月半後、逮捕された袴田さんは厳しい取り調べの中、20日目に犯行を自白。犯行時の着衣は「パジャマにカッパ」とされていた。
取り調べでも「パジャマとカッパ」
弁護団が再審を求めて行われた審理の中で証拠開示が進んだ。2011年、当時の音声が明らかにされている。
捜査員:
どういう恰好をしていった
袴田さん:
まあ寝ているパジャマをそのまま着て。着ているものですから。そのまま下へ降りてナイフはズボンへ差して行った。下へおりていって歩いたのですが、どうもピラピラするし、白っぽいもんじゃあひと目につくと。それでカッパに気が付いてカッパを上から羽織って行った
パジャマとカッパ姿で犯行に及んだとして進められた静岡地裁での裁判。検察側にとって決め手となる証拠を欠く中、裁判の中盤、犯行着衣が変更された。「パジャマ」から、新たに見つかった「5点の衣類」へ。
従業員が発見した「5点の衣類」
5点の衣類は、みそ出荷作業中の従業員によって発見された。タンクの底で麻袋に入った状態で…。事件発生からは、すでに1年2カ月経っていた。
検察側が「5点の衣類で犯行に及んだ」と主張を変える中、袴田さんは「自分の物ではない」と否認、無罪主張を続けた。そして裁判所の結論は、有罪を裏付ける重要な証拠と判断「死刑判決」だった。
元捜査員たちが捜した時になぜ見つからなかったのか、疑問は残されたままとされた。
元捜査員 疑問残るも入れたのは本人と信じ…
事件が起きた1966年6月30日の時点で、タンクの中のみそは80kgから120kgと記録されている。
1989年、弁護団が同じ大きさのタンクを作って行なった再現実験では、このみその量では到底衣類を隠すことはできなかった。
元捜査員:
それは一緒にあの捜索にあたった人たちは、全員とは私は言いませんが相当の数の衆はのぞいてみている
元捜査員は「袴田さんが犯人」と信じて捜査にあたり、その思いは、いまも変わらない。8月中旬に逮捕されるまで1カ月半時間があったことも理由だ。
元捜査員:
誰が入れたかと言えば私は袴田本人が入れたと思っている。まだ衣類があるわけではないんだから。なくても逮捕状が出たわけだからね。勾留期間が過ぎれば普通なら放免になるわけだけど、疑いがあるからと。もう間違いなくって、起訴されたわけじゃん
双方に重要な5点の衣類
元東京地検徳部副部長の若狭勝弁護士は、5点の衣類の存在と血痕の色の変化、その重要性を改めてこう指摘する。
元東京地検特捜部 副部長・若狭 勝 弁護士:
5点の着衣の証拠というのは、今回の事件においては非常に弁護側、検察側にとっても大きな証拠であるのは間違いない。唯一、この5点の着衣の色、赤色の変化がどうあるべきかというのが非常に大きな証拠になっている
元捜査員にとって自分たちが捜して見つからなかった場所から、後になって犯行着衣が見つかった。釈然としない思いはぬぐえない。
元捜査員:
みそタンクから衣類が出たと報道で(知った)誰も教えてくれるわけじゃない。ええ、とんでもないことになったなと。本来はみその衣類がない裁判、もう証拠不十分だといって、無罪なり何なりがでるし、控訴もできなかっただろう。けれど、あれが出てきたから余計こんがらがっている事件だけれどね
捜査記録や証言も今後のカギに
元捜査員の男性は、取材に対し「5点の衣類」の発見について「見落としたということはあまりないと思う」「そんなことあり得るのか」と証言した。
捜査本部の認識はというと、当時の記録には「事件発生当初、工場の捜索を慎重に行うべきであった。深く反省している」と記載されている。
東京高裁は再審開始決定書の中で5点の衣類について、捜査機関による「ねつ造」の可能性に言及した。真相はどうなのか、争点とされた「血痕の色変化」はもちろん、過去の捜査記録や証言も大きなカギを握っている。
(テレビ静岡)