東日本大震災の発生から12年となった3月11日。宮城県石巻市の夜空に花火が打ち上がった。打ち上げを企画したのは津波で最愛の3人の子供を亡くした男性。「守ってやれなくてごめん…」自分を責め続けながらも、周囲の支えを受け、希望を見いだしている。

「3月11日は悲しい日だけど…」

遠藤伸一さん:
警備配置につきました。よろしくお願いします。

復興支援団体の代表を務める遠藤伸一さん
復興支援団体の代表を務める遠藤伸一さん
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宮城県石巻市に住む遠藤伸一さん(54)。代表をつとめる復興支援団体が全国からの寄付金や東京のボランティア団体などの協力を得て、3月11日の夜に花火を打ち上げる活動をしている。この「311慰霊の花火」は今年で3回目を迎えた。

遠藤伸一さん:
3月11日は悲しい日だけど、追悼と今までの日常の平和、新しい希望の花火という、悲しいだけの花火じゃない。みんなであげる花火にしていきたい。

石巻市長浜町にあった、遠藤さんの自宅に津波が押し寄せたあの日。当時、中学1年生の長女・花さん(13歳)、小学4年生の長男・侃太さん(10歳)、小学2年生の次女・奏さん(8歳)、3人の子供たちを亡くした。当初は「どうやって生きて行けばいいのか、最初は消えてしまいたかった」と話す遠藤さん。悪い夢でも見ていると思い込もうとしていたと当時を振り返る。そんな日々に「希望の光」が差し込んだのはある夏の日だった。

津波の犠牲となった、次女・奏さん(当時8歳・左)長男・侃太さん(当時10歳・中)中学1年生の長女・花さん(当時13歳・右)
津波の犠牲となった、次女・奏さん(当時8歳・左)長男・侃太さん(当時10歳・中)中学1年生の長女・花さん(当時13歳・右)

「本棚作り」で思いをつなぐ

木工職人の遠藤さんに舞い込んできた仕事は「本棚作り」。依頼を受けた本棚は、震災当時、石巻市内で外国語指導助手をしていたテイラー・アンダーソンさん(当時24歳)のためのものだった。テイラーさんは「アメリカと日本の架け橋になりたい」と2008年から石巻で子供たちに英語を教えていたが、あの日、津波の犠牲となった。テイラーさんの両親が、本が好きだった娘の思いを継ぎ、小学校などに英語の本を贈る活動「テイラー文庫」の本棚として、遠藤さんに作成を依頼したものだった。

遠藤伸一さん:
子供たちが生きていれば、テイラー先生が贈ってくれた本だったら一生懸命読んだでしょうし、石巻の子供達も本を読んで大きな夢を持ってもらえれば…亡くした子供の遺志、生きた証を作っていく生き方なら、俺にもできるのかなと思わせてくれた仕事だった。

津波の犠牲となったテイラー・アンダーソンさん。石巻市で子供たちに英語を教えていた。
津波の犠牲となったテイラー・アンダーソンさん。石巻市で子供たちに英語を教えていた。

最初の本棚が完成したのは震災から6カ月後の2011年9月。震災当日にテイラーさんが勤務していた万石浦小学校に贈られた。児童は「本棚は座りやすくてすごく落ち着く」、「英語の本は難しいけれど見ていて楽しい」、「これからの後輩に受け継いでもっと広めてもらいたい」などと話す。あの日から12年たつ今も、子供たちに親しまれている。

万石浦小学校に贈られた遠藤さん作の本棚。12年たつ今も子供たちに親しまれている
万石浦小学校に贈られた遠藤さん作の本棚。12年たつ今も子供たちに親しまれている

その後、テイラーさんが過去に勤務していた学校や、被災地にも本棚を寄贈する活動をしている遠藤さん。最近完成した本棚は、30カ所目にして初めて海を渡り、2023年4月、アメリカのテイラーさんの母校に設置されるという。

遠藤さんは「日本とアメリカでつながるというテイラー先生もうれしいと思うし、自分のことのようにうれしい」と顔をほころばせた。遠藤さんの12年を支えてきた「本棚づくり」。そこにはたくさんの人の思いがあった。

テイラーさんの母校があるアメリカに贈られる本棚
テイラーさんの母校があるアメリカに贈られる本棚

「最愛の子供たちへ」思いを込めた花火

自宅跡地に遠藤さんが作った遊具施設「虹のかけはし」
自宅跡地に遠藤さんが作った遊具施設「虹のかけはし」

2023年3月11日、石巻には、雲一つない青空が広がっていた。遠藤さんが足を運んだのは、津波で流された自宅の跡地。遠藤さんは震災後、ここに遊具を作った。人と人をつなぐ場所になってほしいという思いを込めて「虹のかけはし」と名付けた。やさしい顔で微笑む3体の地蔵が遊具で遊ぶ子供たちを見守っている。

遊具で遊ぶ子供たちを見守る3体の地蔵
遊具で遊ぶ子供たちを見守る3体の地蔵

この日は、震災直後に同じ避難所で過ごした人たちなどが集まった。2023年に成人式を迎えるはずだった、次女・奏さんの親友は「震災がなければ、成人式を一緒に迎えられていた。無事に成人したよと報告をしたい」と話してくれた。

2023年3月11日 「虹のかけはし」には多くの人が集まった
2023年3月11日 「虹のかけはし」には多くの人が集まった

そして迎えた2時46分。追悼のサイレンが響き渡ると、遠藤さんは静かに目を閉じ、手を合わせた。

遠藤伸一さん:
守ってやれなくてごめんなというのと、父さんの周りには支えてくれる人がたくさんいて、そのおかげで何とか頑張ることができているということを子供たちに伝えたい。

地震が起きた2時46分。遠藤さんは目を閉じ手を合わせた。
地震が起きた2時46分。遠藤さんは目を閉じ手を合わせた。

その後遠藤さんが向かったのは、子供たちへの思いをはせるもう一つの場所、渡波地区の海岸。震災から10年の節目に始まった、被災地を照らす「慰霊の花火」の準備のためだ。午後7時の打ち上げに間に合うよう、急ピッチで準備を進める。

そして、迎えた花火打ち上げの時。遠藤さんが見守る中、大きな音とともに彩り豊かな様々な花火が石巻の夜空に浮かび上がった。一発打ちあがるたびに観客から大きな歓声が上がる。

終盤に差し掛かった頃、高さ、直径ともに300メートルを超える、ひときわ大きな花火が上がった。夜空に咲いた大輪の花は3つ。遠藤さんが亡くした愛する子供の数と同じ数だ。

 
 

遠藤伸一さん:
大きな花火だったので子供たちに届いたなと。幸せという言葉を使うことはもうないと思っていたけど、お父さんはいろいろな人に恵まれて、支えられて幸せなんだろうなと、今は子供たちに言えます。

東日本大震災から12年。改めて花火を通して伝えたい思いを遠藤さんに聞いた。

遠藤伸一さん:
今から生きていく若い子たちに災害から命をつないでほしいということ。必ず自分らは誰かの宝物だということを、新しい世代の希望の子供たちにつないでいけたらと思います。

被災地の夜空に上がった大輪の花火。懸命に生きてきたからこそ、伝えたい思いがある。

(仙台放送)

仙台放送
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