福島第一原発事故から間もなく12年。水素爆発を起こした1,3号機では燃料デブリの取り出しに向けて建屋内のがれきの撤去が進められている。30年から40年かかると言われる廃炉の進捗状況は?敷地内の現状を取材した。

処理水を保管するタンクの先に3号機(左)と4号機が見える
処理水を保管するタンクの先に3号機(左)と4号機が見える
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40年かかると言われる廃炉の進捗状況は?

2月7日、筆者は日本記者クラブの取材団に参加し、福島第一原発の敷地内を取材した。現在敷地内の96%でタイベックの着用が不要となっている。

今回の取材の主な目的は2つ。1つはこの夏にも行われる予定の処理水の海洋放出に向けた準備状況と地元の声を聞くこと。もう1つは40年かかると言われている廃炉に向けた作業の進捗状況の確認だ。

(関連記事「いよいよ始まる海洋放出…福島第一原発敷地内の現状と地元の声を取材「処理水の海洋放出にはやはり反対なんですよね」)

「この辺りの線量はいま50マイクロシーベルト(時間あたり)です。敷地内では平日で平均4千500人程度の作業員が働いています。いま160マイクロシーベルトに上がりました。この辺りは線量が上がってくるので、なるべく足早に通過しましょう」(東電担当者)

筆者や取材団は1号機のそばで東電担当者の説明を聞いていたが、その間にも線量計の数値がどんどん上がり、アラーム音が鳴り響いた。福島第一原発は1号機と3号機、3号機と繋がっている4号機の建屋が水素爆発した。現在は各号機とも安定冷却を継続しているが、建屋周辺は依然として高線量のままだ。

筆者が装着した線量計もアラーム音が鳴り響いた
筆者が装着した線量計もアラーム音が鳴り響いた

11年×3機で30~40年とした?廃炉期間

1号機は使用済み燃料プールからの燃料取り出しに向けて、建屋内のがれき撤去を進めてきた。現在は残るがれきの撤去に向け、原子炉建屋を覆う大型カバーを設置するため鉄骨などの組立てを行っている。そして廃炉の本丸、燃料デブリの取り出しに向け、いま原子炉格納容器内の調査を進めている。

東電は2011年に、廃炉措置が終了するまでの目標期間を30年から40年後とする「中長期ロードマップ」を決定した。この40年という期間が示された理由について、当時をよく知る政府関係者はこう語る。

「1979年にアメリカで炉心損傷の大事故を起こしたスリーマイル島原発の2号機は、事故炉の除染作業から燃料取り出しが終わるまでに11年かかりました。事故当時の政府や東電はこれを参考にして、11年×3機で福島第一原発の廃炉にかかる期間を30年から40年としたのです。しかしスリーマイル島原発は溶けた燃料が炉内にありましたが、福島第一原発では燃料がどこにあるかわからず、果たして1機11年で終わるのかは誰もわかりませんでした」

水素爆発を起こした1号機では、がれき撤去が進めらている
水素爆発を起こした1号機では、がれき撤去が進めらている

ベントした配管はいまも高線量で撤去できず

「いま通過している排気塔の辺りはものすごく線量が高いところです。300マイクロシーベルトを超えていますね。この辺はなぜ線量が高いのかというと、事故当時1号機のベント(※)をした排気塔があるからです。高線量の配管が撤去できずにまだ残っています」(東電担当者)

(※)原子炉格納容器の中の圧力が高くなり、格納容器が破損するのを避けるため、放射性物質を含む気体の一部を排出させて圧力を下げる緊急措置

1,2号機の間に立つ排気塔は解体作業が2020年5月に完了し、倒壊のリスクは低減した。しかし大量の放射性物質を含む気体を通したため、配管の周辺は依然として作業員が容易に近づけない高線量の状態が続いている。

建屋周辺では作業員の放射線障害を防止するため、ロボットの遠隔操作や床面に遮蔽体という鉄板のようなものを敷いて、線量の低減を行っている。

排気塔(手前)の倒壊リスクは低減したが、配管周辺は依然として高線量だ
排気塔(手前)の倒壊リスクは低減したが、配管周辺は依然として高線量だ

「耳かき」くらい取り出すことから始める

2号機は1号機の水素爆発の衝撃で原子炉建屋のパネルが開き、水素が外部へ排出されたことで水素爆発は免れた。現在燃料デブリの試験的な取り出し開始に向けて、原子炉格納容器から隔離する作業部屋設置を進めている。

ドーム型屋根がついている3号機は、2015年に使用済み燃料プール内のがれき撤去作業が完了した。4号機は事故当時定期検査中であったため原子炉内の燃料はなく、その燃料は2014年に取り出しが完了している。

ドーム型屋根のつく3号機は燃料プール内のがれき撤去作業が完了
ドーム型屋根のつく3号機は燃料プール内のがれき撤去作業が完了

廃炉は果たして目標通りに終えることができるのか?東電の担当者はこう語る。

「まず2023年度中に2号機の燃料デブリを、試験的にほんの数グラム、耳かきぐらい取り出すことから始めます。約22メートルのロボットアームの先端に金ブラシのようなものと吸引装置をつけて付着するデブリを回収する計画です。そしてどういった核種が含まれているのか分析をした上で、今後どう展開していくか検討することになると思います」

2号機の燃料デブリを「耳かき」程度取り出す予定だ
2号機の燃料デブリを「耳かき」程度取り出す予定だ

「残りの4%こそがまさに廃炉の本丸です」

経済産業省参事官の木野正登氏は、2011年3月の事故直後から原子力の専門家として福島に留まり、12年間福島の復興に携わりながら福島第一原発の状況を見続けてきた。インタビューの中で、木野氏に「敷地内の96%が作業服で作業できるようになりましたね」と聞くと、「残り4%こそがまさに廃炉の本丸なんです」と答えが返ってきた。

「燃料デブリの総量は880トンと推定されていますが、この数字は核燃料と原子炉内の構造物の重さを足しただけの推定値です。燃料はすべてどこに何があるか、炉内に落ちているのか外にあるのか、まだ全体像が把握できていないのです」

経産省の木野氏は12年間福島第一原発を見続けてきた
経産省の木野氏は12年間福島第一原発を見続けてきた

「1号機の燃料取り出しは2号機と違う」

東電ではまず2号機で試験的に燃料デブリを取り出し、その知見をもって1号機に取り掛かるとしている。しかし木野氏は「1号機の取り出しは相当難しい」と続ける。

「1号機はベントした配管がすぐそばにあるので、ロボットアームを入れる穴の側がすでに600ミリシーベルト以上という高線量で人が近づけません。2号機はまだ5ミリシーベルトくらいなので、短時間であれば作業員が近づいて装置を付けることは可能です。ですから2号と同じやり方では1号機の燃料デブリは取り出せません。まったく違う方法を考えないといけないのです」

作業員の放射線障害を防ぐため、遮蔽体という鉄板が敷かれている
作業員の放射線障害を防ぐため、遮蔽体という鉄板が敷かれている

ここまで大規模な廃炉の技術は世界的にも例が無いと言われている。まさに福島第一原発の廃炉は人類史上初の試みとなるのだ。

「もちろん海外にある技術を応用させてもらいます。ロボットアームはイギリスの技術の活用ですし、ALPS(=多核種除去設備)で使われる吸着塔はアメリカ、セシウム吸着装置はフランスの技術です。しかし燃料デブリの取り出し技術は、まだ確立していません。土木建築やロボットなど様々な技術を駆使しないといけないのですが、その目処はまだ立ってない状況です」(木野氏)

廃炉作業では様々なロボットが活用された(福島県富岡町の東京電力廃炉資料館に展示中)
廃炉作業では様々なロボットが活用された(福島県富岡町の東京電力廃炉資料館に展示中)

「事故は技術の問題でなく東電という企業の過ち」

木野氏は「日本ではまだまだ原子力が必要だ」と語る。

「いまのところすべての電力を再生可能エネルギーでは賄えないので、当面は原子力を動かさざるを得ないと思っています。福島第一原発の事故は、技術の問題と言うより東京電力という企業の過ちだと思っています。津波の予見について、裁判では無罪になりましたが、企業としての責任はあるし、女川や浜岡原発のように電源を上に置くだけで結果は違ったと思います」

木野氏「福島第一原発事故は東京電力という企業の過ちだった」
木野氏「福島第一原発事故は東京電力という企業の過ちだった」

福島第一原発では廃炉と合わせて高レベルの放射性廃棄物をどうするのかも決まっていない。最後に木野氏はこう語った。

「いずれは原子力をやめたらいいと思いますが、そのためには代わりのエネルギーがないとやめられません。もう福島で原発は無理だと思います。だから日本全体、どこかで動かさざるを得ないです」

福島第一原発の廃炉は福島だけの問題ではない。原子力エネルギーを今後どうするのか、いまも生まれている放射性廃棄物を最終的にどう処理するのか、日本全体の問題なのだ。

建屋にはいまだ津波や爆発による生々しい傷跡が残っている
建屋にはいまだ津波や爆発による生々しい傷跡が残っている

(※)福島第一原発の敷地内の画像はすべて代表撮影

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。