江戸時代から300年以上続く福島県浪江町の「大堀相馬焼」。窯元がこだわったのは、原発事故で帰還困難区域に指定された故郷“大堀”での活動再開だった。2024年春頃を見据えて、再開に向け動き出した。

窯元の故郷は原発事故の帰還困難区域

福島第一原発から10キロ圏内に位置する福島県浪江町の大堀地区。原発事故の帰還困難区域となっている。この場所でよく目にするのが「窯」の文字だ。この地域伝統の「大堀相馬焼」の工房だが、今はもう使われていない。

福島・浪江町大堀地区は帰還困難区域に指定
福島・浪江町大堀地区は帰還困難区域に指定
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江戸時代から続く「大堀相馬焼」の産地は、原発事故による帰還困難区域に指定され、約20の窯元は故郷を追われたままだ。そんな中、いま進められているのが除染作業。復興拠点に指定されていて、2023年3月の避難指示解除を目指している。

除染作業が進む浪江町大堀地区
除染作業が進む浪江町大堀地区

近藤学さん:この辺が工房、まあ制作の場だったよね。建物無くなると狭く感じるよね。小さく感じる。こんなに小さかったのかなとも思うけど

「陶吉郎窯」の近藤学さん69歳。
震災前に使っていた工房を解体し、地区でいち早く除染を進めてきたのは、ずっと変わらぬ“思い”があったからだ。

陶吉郎窯・近藤学さん:やっぱり大堀に戻って、本来の姿の大堀相馬焼を継承しないと、(伝統が)途絶えてしまうなという思いが自分にあったんですね。だから、大堀にはどうしても帰りたい。そういう気持ちがあった

陶吉郎窯・近藤学さん(69)
陶吉郎窯・近藤学さん(69)

伝統をつなぐため避難先に”登り窯”

伝統をつなぐために近藤さんが震災後、福島県いわき市四倉町に新しい工房を構えたのは2018年の春のことだ。

2018年・いわき市に新しい工房
2018年・いわき市に新しい工房

近藤学さん:また伝統を継承できるなーという、そういう炎でもありますよ

特に、こだわったのは「大堀相馬焼」の礎を築いた伝統の「登り窯」の復活だ。
1200度を超す高温の窯が、唯一無二の作品を生み出す一方、完成までの約1週間求められるのが、昼夜を問わず火を管理する過酷な作業。

新工房の登り窯
新工房の登り窯

近藤学さん:もう俺も燃えているからね。こういう感じでやっているから、こっち側が燃えるんですよ。これ、焦げてるんだよ

その伝統の“火”を近藤さんは後を継いだ息子の賢さんと一緒に守ってきた。

長男・近藤賢さん:もともと浪江にも、あまりなかったですし、日本的にもそんなにないと思います。その登り窯を焼けることに感謝しないといけないと思いますね

長男・近藤賢さん
長男・近藤賢さん

故郷に登り窯の復活を

震災からもうすぐ12年。
近藤学さん:もう壊れちゃったけどね、この辺から、この辺から上に。登り窯は登るという、傾斜に沿って部屋が幾つも連なっている

故郷の“登り窯”は撤去が予定されている。大堀の地で伝統を再開させるために、空間線量を下げるなど環境を整える必要があった。

浪江町大堀の登り窯
浪江町大堀の登り窯

近藤学さん:いわきから通って、まずここで仕事をする。それが第一歩になると思っています。それがかなったら、第二歩・第三歩と徐々に昔のような、ここで生活をしながら、ここで生産してと、なりたいなという思いです

震災前の浪江町大堀の登り窯
震災前の浪江町大堀の登り窯

しかし、そのためには課題が山積している。
その1つが「砥山石」の確保。代表的な「青ひび」に欠かせない原料だが、震災前に採掘していた地元の山は放射線量が高いため手に入れることが出来なくなっている。

砥山石
砥山石

近藤学さん:何かいい方法があれば、この砥山石はどうしても使いたい。新たな新生大堀相馬焼の作品を作り上げたいと震災前からずっとそういう考えはあったんです。だから、残念だよね

”大堀”にこだわる変わらぬ思い

それでも近藤さんには“大堀”の地にこだわる理由がある。
陶吉郎窯・近藤学さん:江戸時代に相馬藩の中で大堀という地域で出来た焼き物だから、土地の名前が冠に付いて大堀相馬焼となっているんですよ。だから、土地を離れたら大堀相馬ではなくなる。言葉で言ったら、先陣を切る。そんなことが出来ればいいなと思っています

陶吉郎窯・近藤学さん
陶吉郎窯・近藤学さん

見据えるのは2024年春頃の活動再開。大堀の“火”がいま故郷に帰ろうとしている。

(福島テレビ)

福島テレビ
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