FIFAワールドカップ・カタール大会開始からまもない11月22日、1次リーグ初戦でサウジアラビアがリオネル・メッシ率いるアルゼンチンに2対1で勝利した。サウジ国営通信はこの勝利を「歴史的」と伝え、同国の実質的な指導者であるムハンマド皇太子は急きょ、翌日を休日にすると決めた。

勝利を喜ぶムハンマド皇太子(左)(サウジアラビア・リヤド 22日)
勝利を喜ぶムハンマド皇太子(左)(サウジアラビア・リヤド 22日)
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サウジ勝利に歓喜するアラブ諸国民

米情報会社ニールセンのメディアデータ子会社グレースノートは、サウジの勝利をW杯史上最大の番狂わせと評価した。国際サッカー連盟(FIFA)ランキング51位のサウジアラビアが同3位のアルゼンチンに勝つ確率はわずか8.7%だったという。

勝利を祝福するサウジのファンら(カタール・ドーハ 23日)
勝利を祝福するサウジのファンら(カタール・ドーハ 23日)

サウジの勝利に沸いたのはサウジ国民だけではない。開催地カタールの首都ドーハで勝利を祝うサウジ人ファンのパーティーの中には、チュニジア人、モロッコ人、エジプト人、レバノン人、ヨルダン人など、他のアラブ諸国のファンたちの姿もあった。

サウジ国旗がディスプレーされた高層ビル(ドーハ 23日)
サウジ国旗がディスプレーされた高層ビル(ドーハ 23日)

ドーハにある高層ビル2棟は、サウジアラビアの国旗の色である緑でファサードを照らし、通りではカタールの車列がクラクションを鳴らしてパレードをする様子すら見られた。

アラブ諸国民の「団結」とも言える様子が確認されたのは久方ぶりのことである。

というのもサウジアラビア、エジプト、アラブ首長国連邦、バーレーンのアラブ4カ国は2017年、同じくアラブの国であるカタールを「テロ支援国家」と非難して断交を宣言、外交、貿易、輸送関係を遮断し、カタール封鎖を目論んだからである。カタールがこれら4カ国と敵対するイランとの協力関係を強化したり、これら4カ国がテロ組織とみなすイスラム組織「ムスリム同胞団」を支援したり、あるいはカタールの放送局「アルジャジーラ」がこれら4カ国での内乱を煽るような報道をしたことが背景にある。

2021年1月にはクウェートと米国の仲介により断交は解消されたものの、カタールは断交中にイランやトルコとの関係を一層強化していたこともあり、相互不信はくすぶったままだった。

ムハンマド皇太子がみせた“サウジの意思”

ところがW杯カタール大会の開会式には、サウジのムハンマド皇太子の姿があっただけでなく、彼は満面の笑みを浮かべてカタールのタミーム首長と握手を交わし、もてなしに対する謝意を表明した。

開会式の席はムハンマド皇太子、FIFAのインファンティーノ会長、タミーム首長という並びで、ある種の「親密さ」がアピールされていた。

両者の間に挟まれて座っていたインファンティーノ会長が大会に先立って行われた記者会見で、性的少数者(LGBT)や移民労働者の扱いといった人権問題をめぐり西側諸国がカタールを批判していることについて、「偽善」と非難したことは示唆的だ。彼はカタールに寄り添う姿勢を隠さない。

人間には男と女しかおらず性的少数者などという存在は認めないとし、同性愛行為を禁じたり犯罪として罰したりするという点において、アラブ・イスラム諸国は共通している。多様な性を認めるべきだ、LGBTにも等しい権利を、といった西側諸国が掲げる近代的な人権意識を、アラブ・イスラム諸国は必ずしも共有していない。

W杯カタール大会に際してのムハンマド皇太子の言動は、西側諸国がカタールを批判するのは我が国を批判するのと同様だ、政治的差異は傍におくとして、この点においてはカタールの側につこうという、サウジの意思表示とも言える。

カタールのタミーム首長も開会式の場で、「人々が互いを隔てるものを脇に置き、その多様性と同時に互いを結びつけるものを祝福することは、なんと美しいことだろう」とスピーチした。

アラブ諸国の政治的分断は今も解消されてはいない。対イラン問題、パレスチナ問題、シリアやイエメン、リビアでの戦争など、アラブ諸国は多くの問題において主に二手に分かれて対立しており、その対立には今後さらに拍車がかかる可能性もある。

アラブ連盟サミット(11月1日)
アラブ連盟サミット(11月1日)

11月初旬にアルジェリアで開催されたアラブ連盟サミットには、サウジのムハンマド皇太子だけでなく、UAE、バーレーン、モロッコ、オマーン、クウェートといったアラブ諸国の首脳が参加を見送った。今回のW杯カタール大会の開会式にも、UAE、バーレーンの首脳は出席していない。両国のカタールに対する不信がいまだ根強いことを窺わせる。

一方でサウジ勝利を共に喜び合うアラブ諸国の人々の姿には、アラブは団結するときはするのだという側面が見られる。政治的分断だけをもって、アラブ諸国の関係を推し量ることはできない。

【執筆:麗澤大学客員教授 飯山陽】

飯山陽
飯山陽

麗澤大学客員教授。イスラム思想研究者。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。著書に『イスラム教の論理』(新潮新書)、『イスラム教再考』『中東問題再考』(ともに扶桑社新書)、『エジプトの空の下』(晶文社)などがある。FNNオンラインの他、産経新聞、「ニューズウィーク日本版」、「経済界」などでもコラムを連載中。