11月20日から開幕するW杯。

11月6日放送の「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)では、W杯を経験した選手たちが登場し舞台裏について語った。

ゲストはフランス大会に出場した岡野雅行さん、名良橋晃さん、日韓大会に出場した鈴木隆行さん、ドイツ大会に出場した坪井慶介さん、ドイツ・南アフリカ大会と2連続出場した中澤佑二さん、南アフリカ大会に出場した松井大輔さんの6名。

代表選手の宿泊先はどんなところ?

2022年W杯開催国・カタールは、人口約280万人で国土の面積は秋田県とほぼ一緒。石油や天然ガスなどのエネルギー資源が豊富な国。

W杯カタール大会の試合会場は8つで、そのうち7会場がW杯のために新設された。8つのうち特に豪華なのは決勝が行われる予定の「ルサイル・スタジアム」。8万人収容できる今大会最大のスタジアムだ。

W杯のためにスタジアム周辺の都市も建設され、スタジアムには史上初の設備も。11月でも非常に暑いため、W杯初の空調システムを導入し、スタジアムを一定温度に保てるようにしている。

「スタジアム974」は解体可能なスタジアムで、輸送用のコンテナをブロックのように組み立て、大会終了後の部材は再利用されるという。

さらに各国の代表選手たちが宿泊するホテルも豪華。ドイツ代表はカタール最北端のペルシャ湾を臨み、スパやフィットネスなどリラクゼーションに特化した「ズラル ウェルネスリゾート」。

アメリカ代表はドーハ沖に浮かぶ人口島ザ・パールにある「マルサ マラズ ケンピンスキー」。

日本代表が宿泊するのは「ラディソン ブル ホテル」。アジアや北欧の要素も取り入れた、エレガントでモダンな内装が特徴で、和食を提供するレストランも完備されている。

このホテルは森保一監督が「ホテルと練習場の移動に負荷がかからないこと」を希望して決定したという。練習場まで車で約10分、各スタジアムまで約30分とベストコンディションで試合に臨めるように考慮されている。

ドーハの悲劇からジョホールバルの歓喜まで

今回の開催国カタールは、1993年に日本が初のW杯出場をかけて戦った舞台でもある。

1993年、勝てば初のW杯出場が決まるイラク戦は、試合終了間際のロスタイムに、同点ゴールを受けて試合終了。初のW杯出場が幻に終わり、のちに「ドーハの悲劇」と呼ばれた。

それから4年後、代表に“カズ”こと三浦良知や中山雅史に加えて、司令塔・中田英寿、ストライカー・城彰二が期待の新戦力として合流。今度こそと挑んだフランス大会アジア最終予選だったが、格下相手にも勝ちきれず、W杯は遠のいた。

日本代表を率いた当時の加茂周監督は最終予選真っただ中に突如解任され、当時コーチを務めていた岡田武史が監督を引き継いだものの、不調の波は変わらずサポータ-が激怒。

選手の乗るバスにビンや缶、卵などが投げ込まれ、暴動にまで発展した。

W杯フランス大会に出場した岡野雅行さん
W杯フランス大会に出場した岡野雅行さん
この記事の画像(8枚)

崖っぷちで迎えた最後のチャンス、イラン戦は日本が同点に追いつき、先に点を決めた方が勝ちのゴールデンゴール方式の延長戦に。投入された岡野は、チャンスがめぐるも「惜しい」の連続に列島中が絶叫。

それでもついに、岡野がゴールを決め、日本は悲願のW杯への切符を手にし、ショホールバルの歓喜に沸いた。

岡野さんは「試合後のシャワールームで岡田さんが普段たばこを吸わないのに吸ってて、『デビューしちゃったんですか?』って言ったら、『オメェが外しまくってるから、この野郎』とめちゃくちゃ怒られて。『よく入れてくれた』と言ってくれましたが、その一言でめちゃくちゃ怒られた」と振り返った。

フランス大会でW杯初出場を決めた日本だったが、その裏ではサポーターが熱狂的すぎて、護衛のためにパトカーが選手の自宅に待機していたという。

岡野さんは「本当に熱狂的で、勝てなくてものすごく叩かれて、空港でモノを投げられたり。試合中は家族が危ないので、家にパトカーが止まっていたと聞きました」と語る。

サッカースクールで張り切ってしまい右腕を骨折してしまった名良橋晃さん
サッカースクールで張り切ってしまい右腕を骨折してしまった名良橋晃さん

しかし一方で名良橋さんは「僕は地味な選手だったので無風でした。昔は電話帳に個人情報が載っていて、岡田監督の家はいろいろ大変だったようです」と明かした。

そんな名良橋さんはジョホールバルから帰国後、「120分フル出場していたのに誰もインタビューしてくれなかった」とこぼす。

「悲しいですね。フル出場して帰国して記者会見して。個別に選手のインタビューがあって、中田英寿とかそういう選手には記者が行くのに、誰も来ない。また無風です」と嘆いた。

迎えた日本初のW杯フランス大会は、初戦で過去2回優勝している強豪アルゼンチン、クロアチア、中山が日本初ゴールをあげるなど奮闘したジャマイカと3連敗し、幕を閉じた。

ドイツ大会、坪井が両足をつったワケ

2002年W杯日韓大会は、イングランド代表・ベッカムのソフトモヒカンやトルコ代表のイルハンのちょんまげヘア、ブラジル代表・ロナウドの大五郎カットなど、個性的な髪形の選手たちが話題に。

トルシエ監督率いる日本代表は司令塔・中田を中心にグループステージの熾烈な戦いに挑んだ。

第1戦ベルギー戦では鈴木隆行が劇的ゴールを決め引き分けに。第2戦ロシア戦の稲本潤一のゴールによりW杯初勝利をつかんだ。

ベスト16の好成績を残し、その実力を世界に知らしめた。

日韓大会に出場した鈴木隆行さん
日韓大会に出場した鈴木隆行さん

第1戦でゴールを決めた鈴木さんは「たぶん人生の中で一番緊張した。第1戦目が一睡もできなかった。試合前の国歌斉唱でスタンドが一人一人、日の丸を掲げてくれた。6万人が日の丸を掲げているのを見て『うわっ、これ死ねる』って。もう『試合のためだったら死ねる』と。寝てなかったのに体調不良も気にならなくなった」と当時の心境を語った。

“サッカーの神様”ことジーコ監督が率いた2006年W杯ドイツ大会は、中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一とスター選手がそろっていた。

そんな中、初戦のオーストラリア戦で後半に3バックの一人、坪井慶介が両足をつり負傷退場する。この誤算が悲劇を生み、試合終了6分前から3失点し、あえなく敗北。

負ければグループステージ敗退の状況で迎えた第3戦は、この年世界ランキング1位のブラジルだった。玉田圭司がシュートを決めるも、次々とブラジルにゴールされ、日本はグループステージ敗退。この試合を最後に中田は29歳で現役引退を発表した。

ドイツ大会に出場した坪井慶介さん
ドイツ大会に出場した坪井慶介さん

オーストラリア戦で両足をつった坪井さんは「ドイツが猛暑で、初めてのW杯でド緊張していて、人生であんなに緊張したことないってくらい。猛暑なのに水分補給もしてなくて、脱水症状みたいになった」とピッチに両足を投げ出して座り込んだ理由を話す。

両足をつった状況を語る坪井さん
両足をつった状況を語る坪井さん

すると、番組MCの浜田雅功さんは「今の話聞いたら腹立つわ。水飲めよ」と指摘すると、スタジオで水を飲み出す坪井さんに「今じゃない」と周囲からツッコまれる。

しかし、中澤さんは「オーストラリアが日本に対していやらしい戦法をしてきて、このままだとヤバい状態だったので、坪井のケガなんて誰も心配していなかった」と振り返る。

当時キャプテンの宮本恒靖が駆け寄っているが、中澤さんは「ツネさんはキャプテンだったので仕方なくですけど、他のメンバーは誰も心配していない」と語った。

PK失敗した駒野にかけた松井の言葉と疑問

2010年W杯南アフリカ大会は岡田武史監督が「ベスト4」を目標に掲げていたが、4カ月前からのチームの不調により、監督解任論まで飛び出した。

日本中に暗雲が立ちこめる中で現れた救世主は、本田圭佑。

第1戦カメルーン戦で勝利し、勝てばグループステージ突破が決まるデンマーク戦では本田が無回転FKのスーパーゴールを決めるなどし、見事勝利。決勝トーナメントに進出した。

初のベスト8をかけたパラグアイ戦では両チーム無得点の激闘の末、試合はPKへ。3人目の駒野友一がまさかのクロスバー直撃で失敗すると、すべて成功させたパラグアイが勝利した。

世間の下馬評を覆す大健闘に日本中が感動し、試合後には「岡ちゃんごめんね」がトレンドワードになるなど、監督へも賛辞が送られた。

南アフリカ大会に出場した松井大輔さん
南アフリカ大会に出場した松井大輔さん

PKを失敗してしまった駒野に駆け寄ったのが松井さん。どんな声をかけたのかを聞くと、「『しょうがない、早く帰ろう』みたいなことを言いました」という。「小6から一緒でしたけど、あんなに落ちている駒野を見たことなくて、翌日ホテルで見たらカバにひげが生えたような顔をしていた」と明かした。

そんな松井さんは、このW杯で後悔していることがあると言い、それは「なんで駒野がPKを蹴ったのか」と、先の感動的なエピソードを台無しにさせるような話を持ち出す。

「なんであの駒野が?僕が蹴っていればベスト8行けたんじゃないか」と松井さんが言うと、中澤さんも「僕が蹴っても入れてました」と同意した。

ドイツ、南アフリカ大会に出場した中澤佑二さん
ドイツ、南アフリカ大会に出場した中澤佑二さん

2014年W杯ブラジル大会。ザッケローニ率いる日本代表のW杯の初戦は、コートジボワール。本田が豪快な先制弾を決めるが、後半立て続けに2点を奪われ敗北。

1敗1分で迎えたコロンビア戦は、岡崎慎司のヘディングで同点に追いつくが、結果は1-4でグループステージ敗退となった。

2018年W杯ロシア大会は、直前の本田の不調で“本田不要論”が飛び出し、ハリルホジッチ監督の電撃解任で西野朗監督が就任するなど、不安と共に始まった。

そんな中、4年前にW杯で完敗したコロンビアとの初戦はハンドにより日本はPKを獲得。後半には大迫勇也がヘディングで決めて「大迫半端ねぇ!」が話題になった。

4年前の雪辱を果たし、W敗史上初めてアジアの国が南米勢に勝った歴史的な試合に。

見事グループステージも突破し、日本は初のベスト8をかけてベルギー戦に臨むが、敗北した。

ドーハの悲劇から2018年のロシア大会まで、日本サッカーが歩んできたW杯の歴史がまた一つ加わる。

目前に迫った2022年W杯カタール大会。日本はスペイン、コスタリカ、ドイツと強豪揃いの“死のグループ”に入った。どんな戦いを見せてくれるのか。初戦はドイツだ。

(『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送)