ヴィム・ヴェンダース監督は旅人。作品の代名詞である「ロードムービー」は彼の生き方そのものである。一方で、あれほど好きな小津の技法はどこにも見当たらない。変幻自在なヴェンダースの世界を覗いてみた。
この記事の画像(10枚)私が旅をする理由
1950年代前後から遺作『秋刀魚の味』(1962年)までの小津安二郎監督作品は、表現様式や話の筋がガンコなまでに固定されている。カメラはローアングルで撮られ左右、上下、前後にまったく動かない。またほとんどの作品が、娘の結婚をめぐる親子の葛藤の話で区別がつかない。
そんな小津を敬愛するヴェンダース監督の作風は、逆に多種多彩である。脚本をあらかじめ用意しない即興演出のロードムービー、天使が紡ぐ叙情詩作品、キューバの老ミュージシャンやU2を追った音楽ドキュメンタリー、3D映画などなど。
彼の原体験として、冷戦下の西ドイツで育ったことがロードムービー制作に影響していると語る。
ヴィム・ヴェンダース(以下、WW):
敗戦間もないドイツに生まれたので(筆者註:1945年8月14日生)、町はかなり破壊されていました。子どもながら世の中はそういうものだと思っていました。しかし、新聞や写真を通して世界はまったく違うのだと気づきました。そこには自分が育ったところより、ずっと素敵な世界があったのです。
WW:
いつも新聞、雑誌から世界中の写真を切り抜いて、部屋の壁に飾りながら、自分の国以外のどこかに行きたいと思っていました。
憧れの地はもちろんアメリカです。戦後のドイツでは、日本と同じようにアメリカ文化が支配的で影響力を持っていました。アメリカン・コミックにはじまり、映画、文学、ピンナップ、車など、とにかく美しいものはすべてアメリカのものでした。子どもの頃からどこよりも先にアメリカに行きたかったです。
仲間と一緒ではなく列車に一人座って、誰にも干渉されず家から離れるのが好きでした。旅に出るなら一人旅がいいと思っていました。そして、映画監督として旅をすることに目覚め、ロードムービーを手掛けるようになりました。
WW:
『都会のアリス』(1974年) は私が初めてアメリカで撮影した作品です。冒頭の10分間はロードムービーのような感じですね。その後はドイツに戻り、私の故郷のルール地方に移動します。最初から最後まで時系列で撮影し、ストーリーを追いながら、旅の道筋を追うという本格的なロードムービーはこのとき初めて経験しました。
映画を製作するとき、時系列で撮ることは非常に贅沢なことだと思っています。ロードムービーは、自分もスタッフも全員が一緒に旅をすることでそれが可能になりますから。
道は人生のメタファー
WW:
道(ロード)は人生のメタファー(暗喩)です。つまり人生そのものが一つの道であり、道が心のあり方も表していると思います。
私が携わっている芸術の分野は映画というものですが、映画そのものは動く画像 (moving image) です。「動く」ということで非常に意味が大きいのです。
私自身、ドライブが好きで、移動が好き。好奇心旺盛でどこに行くのか分からない人です。私なりのやり方で『都会のアリス』を完成させ、冒険できるのはロードムービーなんだという確信が持てました。
これまで手掛けた映画やドキュメンタリーの中で、ヴェンダース監督自身が一番好きな作品は『夢の涯てまでも』だそうだ。日本など9か国20都市をほぼ時系列で回って撮影しているSF大作である。旅をテーマにしてきたヴェンダース監督の集大成、まさに究極のロードムービーである。
ベルリンの壁崩壊を知る最後のドイツ人
WW:
『夢の涯てまでも』の脚本とリサーチを始めたのは1970年代の終わり頃でした。そして、ようやく撮影にこぎつけたのは、それから12、3年後のことです。
1990年から撮影を始めましたが、前の年、撮影場所の下見のためオーストラリアの奥地にいました。とにかく何もないところで、毎週誰かが四輪駆動車で1日かけて、食料品店のある一番近い町まで行かなければなりませんでした。
通信手段も衛星電話もない時代ですから、私たちに連絡を取りたいときは、食料品店にあるファックスを使うしかありませんでした。
WW:
私が買い物をして車に食料などを積んでいると、店のオーナーがやってきて「君に渡したいものがある」と言いながら、感熱紙のロールを持ってきました。当時のファックス用紙は1週間も放置しておくと真っ黒になって何も見えなくなります。太陽に透かしてみると、壁の上に人が立っているような写真がうっすらと見えました。
何が何だかわからないまま、12時間時差のあるドイツに電話しました。起きてきた友人には「何も知らないのか?壁が崩壊したのは14日も前だぞ」と言われました。私たちの誰も本当に何も知らなかったのです。大混乱に陥った世界からあまりにも遠いところにいました。
こうして私はベルリンの壁崩壊を知る最後のドイツ人になったのです(筆者註:ベルリンの壁崩壊=1989年11月9日)。
この映画には私の好きなもの、私の成し得たことがすべて集約されています。日本での撮影も多く、箱根の撮影は本当に素晴らしかったです。小津映画の常連の笠智衆さんと一緒に撮影することもできました。それは私にとって輝かしい経験でした。
小津の「動かない」ことの真逆を行くヴェンダース監督ではあるが、小津映画の顔とも言うべき笠智衆を起用したときの心境は想像に難くない。
小津の技法をあえて参考にしないヴェンダース監督だが、小津へのオマージュがこれからの作品に投影されることをいち小津ファン、いちヴェンダース・ファンとして期待したい。
興味を持つ芸術家は世界文化賞受賞者ばかり
ヴェンダース監督は言う。
「絵画、彫刻、建築、音楽、演劇・映像は世界共通語(ユニバーサル・ランゲージ)である」。
一連の世界文化賞のイベントに長年立ち会ってきた筆者は、芸術家同士が初対面でも意気投合していく瞬間を見てきた。受賞者は多様な世界の芸術家たちとごく自然にコミュニティを築いているようにも感じる。今年の世界文化賞建築部門受賞者SANAAとヴェンダース監督は以前、ドキュメンタリー映画でコラボしている。
また長年交流のあった舞踏家・振付家、ピナ・バウシュ(1999年演劇・映像部門受賞者)のドキュメンタリー映画『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011年) は、3D映画の中で最高峰と絶賛されている。
2014年には、写真家のセバスチャン・サルガド(2021年絵画部門受賞者)のドキュメンタリー映画を撮っている。世界文化賞でつながっている友達の輪のようだ。ヴェンダース監督はこう話す。
WW:
今、建築家のドキュメンタリーを撮っているんだ。ピーター・ズントーだよ(筆者註:2008年建築部門受賞者)。別の芸術分野にいる人が、何をどのように見て、どのように形にするか。そのような創造するということを私たちが体験することが非常に大切です。
私が興味を持つ芸術家は世界文化賞受賞者ばかりですね。
芸術家同士は無意識に惹きつけ合うのだ。それを目撃できるのも世界文化賞なのである。
(サムネイル © Wenders Images GbR © Peter Lindbergh)
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